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読書は生きる力を養います。
<1>良い文章を書くことの大事さ
 
 人間はいろいろな形で表現をします。赤ん坊は泣くことで、俳優は演技することで、野球選手はすばらしいプレーをすることで、彫刻家は彫刻でもって自分を表現していますし、主張もしています。
 自分を表現し、主張することは人間の自然に身についた欲求です。本能といってもかまいません。人はつねに自分の思っていること、考えていることを相手に伝えたいと思っているものです。
 自分の考えていることを相手に伝えるのに最も有効的に使われるのが文章です。
 文章にはいろいろあります。小説・作文・感想文・日記から実用的なビジネス文章・報告書・企画書はたまた数学・物理学・自動車工学の研究論文まで種々さまざまです。いろいろな分野で文章は活用されています。文章を書くということと無縁な分野を探すのはほとんど不可能といってもよいです。生きることは文章を書くことであるといってもいいくらいです。
 ただ、私たちは文章とはたいへん恐ろしいものだと認識しなければなりません。それは<文章を読むとそれを書いた人の全人格がわかる>からです。文章によってその人の教養の高さなどがわかってしまうのです。良い文章を書く人はやはり人から評価されますし、逆に悪文は人をして首を傾げさせます。まして、文章を書けない人はもってのほかです。 文章はすべての人間の営みの土台となるものです。良い文章を書くことに文系も理系も関係ありません。
  私は大学時代ロシア語の勉強を少ししました。ロシア語の教授はドストエフスキーの専門家の江川卓先生(江川先生の代表的な訳書は岩波文庫の「罪と罰」、新潮文庫の「悪霊」があります)でした。一度ロシア語の上級クラスの授業に参加させてもらいました。私はその授業をのぞいてびっくりしました。ロシア語の授業というよりも日本語の授業でした。原文を生かすも殺すも日本語の文章能力だと先生は思っていたに違いありません。
 これに類したことは他の分野にもいくらもあります。せっかくいいアイディアがあるのに企画書にうまくかけなくて企画が没になったり、文章がわかりずらくお客に真意が伝わらなかったりしたことはビジネスマンなら何回かは経験したことがあると思います。また、判事・弁護士・検事などの法曹界で働く人は読解力と文章力が問われます。私の知り合いの弁護士の先生は司法修習生のとき担当教官からドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」をかならず読むようにいわれたそうです。
 算数ができない小学生は日本語の読解力がありませんし、文章もうまく書けません。数学のできる人は文章もうまいものです。
 始めに言葉ありき、始めに文章ありきなのです。良い文章を書くことが自分の専門分野の能力をも高めることになるのです。
<2>良い文章とは
 それではよい文章とはどのような文章をいうのでしょうか。一般にいわれているのが次のような定義です。
 <良い文章とは自分にしか書けないことをだれが読んでもわかるように書いたものだ>
 この定義で良い文章の条件は十分にいい得ているのですが、谷崎潤一郎によるとさらに<人の記憶に残る>という条件が加わります。文豪ならではの条件だと思います。
 さらに作家の井上ひさしは良い文章を書くときの指針を
 <むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに>
 といっています。たいへん含蓄のある言葉です。
 あえて芸術的な文章でなく単に良い文章を書こうとする人には最初にあげた良い文章の条件を満たすよう心がければよろしいと思います。
  自分にしか書けないというのは個性的なことを書くということです。個性的なこととは特別突飛なことをさしているのではありません(突飛なことでも当然かまわないですが)。人の意見・感情に左右されない自分の考え・感じたことをいいます。ですから考え・感じた内容に良し悪しはありませんから、自由に書いてよろしいのです。夏目漱石の「こころ」を読んで、自殺した先生を立派であると思ってもよいし、逆に卑怯者と思ってもよいわけです。
 本を読めば人はかならずどこか人と違うことを感じますし、同じ絵をみてもそうです。商品の企画にしても人はかならず独自のアイデアをもっているものです。
 ですから書く内容は何でもよいのです。でもこれだけでは良い文章にはなりません。なぜそうなのだということをわかりやすく書いて、読者になるほどと納得してもらわなければならないのです。要は良い文章と悪い文章の違いは内容の高尚さにあるのではなく、わかりやすさの違いにあるのです。
<3>良い文章の書き方
 文章にたいする感じ方は人間の思考・感情・好みなどに大きく影響されますから、誰にでもあてはまるこれぞ良い文章の書き方というものは存在しません。しかし、芸術作品でない一般に書かれる文章(作文・感想文やビジネス文章などの実用的な文章)においては、良い文章を書くためのある程度決まった方法は存在します。その方法をまとめてみましょう。
 
(A)主張したいことをあいまいにしない
 良い文章とは論理的に書かれた文章といわれていますが、論理というのは数学を含んだ論理学からでてきた言葉でいわゆる筋道立っているということです。要するにあいまいでないことをいいます。悪文の代表的な例は、いろいろと書かれているけれど結局この筆者は何をいいたいのかわからないという文章です。企画書では一番いいたいことは最初に企画主旨として書きますが、ここで何をいいたいのか読んだ人に伝わらなければその企画は没になります。
 まず何をいいたいかをはっきりさせてそれを提示します。普通文章の最初か終わりのほうに提示します。昔から文章の形式を起承転結といって結論は最後に書くといわれていますが、最初でもかまいません。とにかく主張したいことをはっきりさせます。
 
(B)1つの文は短めに。接続詞は多用しないこと
 良い文章とはわかりやすくなければなりません。1つの文が長く、まして1つの文の中に「が」「しかし」「そして」「だから」などの接続詞が多用されていては何をいっているのか非常にわかりずらくなります。1つの文はなるべく簡潔に書くように心がけることです。また文と文をつなぐときにも接続詞を多用しないようすべきです。
 夏目漱石の「坊っちゃん」が多くの人に読み継がれてきたその理由の1つは小説の1つ1つの文が簡潔でテンポがよいことです。
 
<親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間程腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇(むやみ)をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。>
 
 同じ漱石の「こころ」も1つ1つの文が簡潔です。「こころ」は最高の散文の1つだといわれています。
 
<幸(さいわい)にして先生の予言は実現されずに済んだ。経験のない当時の私は、この予言の中(うち)に含まれている明白な意義さえ諒解し得なかった。私は依然として先生に会いに行った。その内いつの間にか先生の食卓で飯を食うようになった。自然の結果奥さんとも口を利(き)かなければならないようだった。>
 
 「坊っちゃん」にしろ「こころ」にしろわかりやすい文章です。
 
(C)形容詞・副詞の使い方に注意する
 これは(B)ともかかわることですが、形容詞・副詞を無闇やたらと使うと文が煩雑になってわかりにくくなることがあります。
 形容詞そのものがあいまいな言葉です。「あの人は美しい」と書かれてもあまりピンときません。形容詞を使う場合はなぜその形容詞を使うかの具体的な根拠を示すとわかりやすくなります。「あの人の屈辱に耐える姿は美しい」となるとうまくイメージできます。 また、「~のごとく」の比喩表現にやたらと副詞をつけたものも感心しません。「馬車馬のごとく、四六時中一生懸命額に汗して働いた」たぐいの表現をよく見ます。これなどは「汗をながして一日中働いた」でも十分真意は通じます。
 
(D)使いなれた言葉を使うこと
 難しい言葉を使うことと良い文章とは何の因果関係もありません。言葉はある意味道具と似たところがあります。使いなれた言葉ほど味わい深くなります。また、1つ1つの言葉は意味がわかっていても辞書で調べるようにしたいものです。
 以上をまとめると良い文章を書くには<いいたいことを明確にして、1つ1つの文はむだな言葉を排除して簡潔に具体性をもって書く>ということでしょうか。
 
(E)最後に
 良い文章の書き方について述べてきましたが、これも1つの理屈であって、良い文章を書けるようになるためには訓練をしなければなりません。その訓練とは、良い文章といわれているものをたくさん読んで、そして実際に書いてみることです。書いたものを人に読んでもらうとさらに上達します。
 
 結局、良い文章を書くための王道は存在しません。
 私は大学時代から小説を猛然と読み始めました。外国文学ではドストエフスキーをよく読みました。なにしろ私が通った大学には先ほど述べたドストエフスキーの権威の江川卓先生がいたのですから。私は先生の訳した「悪霊」を読みました。たいへん難しくて何度も挫折しそうになりましたが読み終わりました。そして先生の研究室を訪ね、読後感を述べました。先生はうなずきながらきいてくれました。それ以後私は図にのって「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」「アンナ・カレーニナ」などを読むと先生の研究室におしかけました。先生はいつもにこにこしてきいてくれました。
 また、私はたまに拙い小説を書いて先生にみてもらいました。先生は一読すると赤ペンで1つ1つの文について添削をしてくれました。原稿用紙が真っ赤になりました。結局は書き直しということです。それでもある1文をさしてこれはいい表現だといってもらったこともありました。私はいくつかの作品を書いて先生に添削を施してもらいました。今考えれば私はたいへんめぐまれていました。先生に読後感をきいてもらったことと文章の添削をしてもらったことで、私は読むことと書くことが苦にならなくなりました。
 やはり大作を読んだら人に読後感をきいてほしいし、文章を書いたら人に読んでほしいものです。
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