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読書感想文
 
井上靖「風濤(ふうとう)」を読む

 朝鮮半島は歴史上、中国の影響を多大に受けてきた。中国の政治体制が朝鮮半島の運命を決定したといってよい。
 朝鮮はつねに中国の属国で、近代以前は中国と朝鮮は一度たりとも対等ではありえなかった。朝鮮の最高指導者は〜王か〜宗で、皇帝を名のることはできなかった。皇帝を名のることができるのは中国の最高指導者のみである。王は皇帝の格下になるのである。
 ところが、日本の最高指導者は天皇である。「皇」を用いることに中国は不愉快な思いをしたという。日本はつねに中国と対等な関係を築いてきたのである。
 近代以前は、日本と中国は正式に戦争をしたことはないが、中国は二度ばかり、日本を侵略しようとした。いわゆる元寇の役である。当時の中国はモンゴル人の国である元が支配していた。元はジンギス・カンが築いた国であった。元の3代目皇帝のフビライはジンギス・カンの孫であるが、フビライは日本も元の属国にしようと目論んだ。そのため、日本に使者を派遣したが、日本はけんもほろろにこれを無視した。
 激怒したフビライは2度大量の軍隊で日本を攻めるが、2度とも台風のために失敗した。日本ではこの台風のことを神風と呼んだ。
 元の軍隊はモンゴル人と漢人から構成されていると思われがちだが、実は、その中に、大量の高麗人がいた。当時の朝鮮半島は、一応高麗が支配していた。
 元寇とは、高麗人の軍隊と鎌倉幕府軍の戦いともいえるのである。

 井上靖の「風濤」は元寇の時代の朝鮮半島の状況を描いた歴史小説である。ジンギス・カンの生涯を描いた「蒼き狼」の延長上にある小説といえなくもない。
 この小説は元寇のことを主要なテーマとしているが、その内容はいかに高麗が元から冷酷な仕打ちを受けているかが中心になっている。その冷酷さが大国とその属国である小国の運命を象徴的に表している。
 物語は高麗の王である元宗とその子の忠烈王の時代を描いている。その当時、中国を支配していた元では3代皇帝にフビライが就任した。
 高麗では内乱が続き、元はそれを口実に高麗に軍を派遣し、高麗を事実上属国というよりも植民地化した。元は高麗の政治に関与し、高麗が生む富を強引に奪った。高麗は不安定で人民は非常に貧しかった。
 そんな折、フビライは元宗に日本を攻めるための大量の軍船と兵隊と、攻撃するためのもろもろの必要品を用意することを命じた。元宗は従わざるを得なかった。高麗の山のほとんどをはげ山にするくらい木を切り倒して軍船を作り、国中から若者を徴兵した。
 高麗人を主とする元軍は日本を攻めたが、台風のために元軍はほとんどが海の藻屑と消えた。
フビライは日本を攻めることをあきらめたように思われた。元宗が死に忠烈王の時代になると、少しの間平和になった。忠烈王はフビライの娘を妃に迎えた。高麗の人民は元と高麗が親戚になったと喜んだ。
 ところが、フビライの日本を支配する野望は消えてはいなかった。再び、高麗に日本を攻める準備を命じた。軍船900隻、兵隊3万である。これを用意するだけでも、高麗は国力の限度を超えていた。それでも、国の存亡を賭けて高麗は必死になって、フビライの命令を遂行した。高麗南部の山には木がなくなり、国中から若者がいなくなった。高麗の国力は無に等しくなった。
 モンゴル人・漢人・高麗人で構成される総勢10万を超える元軍は、牙を剥き出して日本を襲ったが、またもや台風のために元軍は壊滅状態になった。まもなくフビライが死んで、日本侵略は幻と消えた。

 「風濤」は歴史的資料を駆使してかなりリアルに元寇の当時の高麗の状況を描いている。フビライの野望とそれに反比例するような高麗の悲惨さの描写が見事である。 

 
井上靖「孔子(こうし)」を読む

 キリスト教においては、キリストその人について言及されることが多いが、儒教においては、その始祖の孔子について語られることはあまりない。
 キリスト教の普及はキリストの受難の人生が一役買っているのは間違いのないところである。キリストがどんなに虐げられても、人を愛することをやめなかったことが、キリスト教の原点にさえなっている。
 儒教は孔子の教えがもとになった宗教である。孔子の教えを纏めたのが「論語」である。「論語」は孔子の教えではあるが、孔子が直接書いたものではない。孔子の教えを弟子たちが纏めたのである。
 「論語」は孔子の教えが中心であり、孔子その人のことはほとんど記されていない。果たして孔子とは一体どのような人であるのか。
 孔子は紀元前500年前の中国の人間である。この頃の中国は春秋時代で、大国周の勢いがなくなり、中国全土に夥しいほどの国ができ、お互いに覇を競っていた。戦争に明け暮れて、人々は疲弊しきっていた。
 孔子は魯国に生まれた。一時仕官したが、のちに思想家となって、中原(ちゅうげん)を回って、国の為政者に徳を説くようになった。孔子の生涯は放浪の旅そのものといってよかった。

 井上靖の「孔子」は孔子その人自身に焦点をあてた小説であり、いわゆる伝記小説とも歴史小説とも違う。この作品は井上が80歳過ぎて書き上げた最晩年の作品である。
 この作品は孔子の弟子の一人であるえんきょうが孔子について語ったものである。えんきょうは実在した人物ではない。その語りは平易で、老人が幼いものに語るようである。語りの平易さは、かえって孔子その人の人格の深さを炙りだしているようである。
 孔子が死んで30年以上たって、えんきょうは山深い里に住んでいる。えんきょうもすでに孔子の死んだ年齢に近づいた。えんきょうをたくさんの孔子研究家が訪ねた。孔子研究家たちは生き証人であるえんきょうに孔子の人となりや思想を質問した。えんきょうはその質問に知っているかぎりていねいに答えた。
 孔子は心の底から平和を願い、人々を幸せにすることが天命だと悟っていた。孔子は人々を幸福にするのは為政者しかないと考え、為政者に徳を植えつけるために努力した。孔子は中原の各国を回って為政者を説き伏せた。
 私が最も感銘したのは、孔子の天命についての解釈である。天命とは、天の命ずることで幸福になるのも不幸になるのも天命にあると孔子は説く。しかし、不幸になるとしても、人は努力を怠ってはいけないと孔子は説く。この考えはどこか私には、キリスト教の予定説を思い出させた。そして私は孔子とキリストが重なるような思いがした。
 孔子には弟子がたくさんいたが、孔子は特に、子路・願回・子貢に目をかけた。この三人を孔子の三大弟子という。孔子研究家にはそれぞれ、子路・顔回・子貢のファンがいて、子路のファンは子路を、顔回のファンは顔回を、子貢のファンは子貢を、孔子は最も目をかけていたと主張した。誰を孔子が一番目をかけていたかの質問に対して、えんきょうは孔子は三人とも同じように目をかけていたといった。孔子は三人が孔子の教えを受け継ぎ、世の中をよくしてほしいと期待していたのである。
 孔子は長い放浪のあと、自分の生まれた国である魯の国に帰り、まもなくして死んだ。孔子の弟子たちは3年間喪に服して、孔子の墓の近くに庵を結び、そこで生活した。えんきょうも喪に服した。

 「孔子」は生身の孔子の生き方を書いたものである。井上靖は生涯たくさんの作品を書いたが、最後の作品が「孔子」になったことに私は感慨を禁じ得ない。実は、「孔子」を通して、井上の長い人生の生き方を書いたのではないかと、私は思った。

 
井上靖「しろばんば」を読む

  年をとればとるほど、幼い頃、特に少年期の頃がなつかしく思い出される。
 なぜ、少年期の記憶というものは鮮やかに思い出されるのであろうか。それは、回りの環境を素直に、何の疑問も持たずに受け入れたからではないのだろうか。回りの人たちや友だちもみんな自然の一部であった。
 幼いものたちには、理性というものはない。持っているのは、丸出しの感情だけである。たのしいときは笑い、悲しいときは泣き、気に入らないときは喧嘩をする。何とも自然のままに生きる。
 幼少期のことを振り返り、子供を主人公にした作品が書かれるのは当然のことである。子供時代というのは誰にとっても郷愁をそそるからである。
 自分の子供時代を題材にした名作の1つが井上靖の「しろばんば」である。
 井上は旭川で生まれたが、幼少年期を過ごしたのは伊豆湯ヶ島である。井上の父親は軍医で各地を回っており、韓国に従軍したとき井上は1歳であったが、母親の郷里の伊豆湯ヶ島に移ったのである。そして、5歳になると両親のもとを離れ、血のつながっていない戸籍上の祖母に育てられた。
 「しろばんば」は実体験をベースにした、小学生を主人公にしたユーモア溢れる長編小説である。

 「しろばんば」の主人公は洪作である。洪作はおぬい婆さんと2人で、土蔵に住んでいる。おぬい婆さんは洪作とは血のつながりはないが戸籍上の祖母であった。おぬい婆さんは洪作の曾祖父の妾であった。曾祖父には実子がなく、養子縁組をし、その養子が結婚して初めて生んだ子が洪作の母親七重であった。
 曾祖父は亡くなる前におぬい婆さんを分家独立させ、七重をおぬい婆さんの養子にしたのである。七重は結婚し、洪作を生んだ。洪作の父は軍医で、仕事の関係上、洪作は5歳になると、おぬい婆さんに預けられた。
 七重の実家は土蔵と目と鼻の先にあり、上(かみ)の家と呼ばれている。上の家には洪作の実の祖父・祖母や七重の弟妹すなわち洪作の叔父・叔母たちがいた。さき子という叔母がいたが、さき子は洪作に自分のことを「さき子姉ちゃん」と呼ばせた。また、みつという洪作と同じ年齢の叔母もいた。洪作はみつとよく遊んだ。
 物語は洪作が尋常小学校の2年生から浜松に移る6年生の終わり頃までに渡っている。この物語全編を通して見事なのは、おぬい婆さんの性格が見事に描かれていることである。おぬい婆さんは上の家を含めてみんなから嫌われていた。だが、おぬい婆さんも負けてはいずに、みんなを嫌い返した。人に対して、嫌がることを平気でずけずけと言った。そんなおぬい婆さんであったが、洪作のことは猫かわいがりにかわいがった。
 洪作もおぬい婆さんが好きであった。おぬい婆さんは洪作が大学に行くことは知っていたが、勉強しろとは言わないで、自由にのびのびと育てた。洪作は、川へ泳ぎに行ったり、山を散策した。神隠しにもあった。洪作はさき子のことが好きであったが、さき子は子供を生むとまもなくして、死んでしまった。
 おぬい婆さんは洪作がいよいよ浜松に移ると決まったとき、洪作が浜松に引っ越す前に死にたいと口にしたが、実際にその通りになった。
 悲しいこともあったが、洪作は伊豆の自然の中で、友だちと思い切り遊び、自由奔放に生きた。湯ヶ島にある川・林・森・たんぼ・道などがすべて生き生きと描かれている。村と町をつなぐ交通機関が馬車からバスに変わるところが何とも時代の変化が醸し出されておもしろい。

 子供時代に川遊びや虫取りをしたことがない現代っ子にも「しろばんば」は深い郷愁の念を起こさせるに違いない。

 
作文道場井上 靖(いのうえ やすし)
 1907(明治40)年5月6日 -1991(平成3)年1月29日。 文化功労者、文化勲章受章。北海道上川郡旭川町(現在の旭川市)に軍医・井上隼雄と八重の長男として生まれる。第四高等学校(現在の金沢大学)、九州帝国大学法文学部英文科へ入学、中退、京都帝国大学文学部哲学科へ入学、卒業。毎日新聞大阪本社へ入社。学芸部に配属される。なお部下に山崎豊子がました。
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