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読書感想文
 
山本有三「米百俵(こめひゃっぴょう)」を読む

 東大に多数の合格者を出す麻布高校を創立したのは元幕臣の江原素六(えばらそろく)である。司馬遼太郎は「胡蝶の夢」で<もし江原素六が中学でなく、大学を創立したら福沢諭吉ぐらい有名になったであろう>と書いている。この記述に出会うまで、私は江原素六という人間を知らなかった。
 江戸幕府が崩壊し、徳川家が駿河へ移封されたとき、幕臣江原もこれにともない沼津に移住する。江原はそこで兵学校の設立に携わる。明治になって、江原は学校を設立したり、政治家になったりして、明治28年に麻布中学を設立する。江原は麻布中学における教育に心血をそそぐ。麻布中学を巣立った人の中からは数えられないくらいの有為の人が出て、日本の発展のために多大な貢献をした。
 江原の墓は沼津にある。現在でも麻布中学の新入生は江原のお墓参りにいくそうである。

 江原素六だけでなく明治の世には偉大な教育者が輩出した。その1人が長岡藩の大参事小林虎三郎である。山本有三の「米百俵」は小林が長岡に学校を設立する重要さを藩士たちに説得する場面を戯曲にしたものである。戯曲であるから劇として上演された。
 長岡藩といってまず思い浮かぶのが河井継之助(つぐのすけ)である。司馬遼太郎の「峠」は河井が主人公であり、河井をたいへん魅力的な人間として描いている。現在でも河井は長岡の人たちからたいへん好かれている。
  河井に劣らず現在でも尊敬の念を込めて慕われているのが小林虎三郎である。

 戊辰の役で、官軍に敗れた長岡藩は没落した。長岡は焼け野原になり、藩の収入は3分の1になった。河井継之助は戦死し、残された長岡藩は小林が大参事として取り仕切ることになった。小林の師匠は幕末の鬼才佐久間象山である。佐久間の門下には吉田松陰もいた。松陰は通称寅次郎と呼ばれ、小林と松陰は2人の「とら」と並び称された。
 明治3年、長岡藩は疲弊のどん底で、江戸時代の支配階級である武士たちは塗炭の苦しみに喘いでいた。今日食べる米もない。盗みをするものまで出た。そんな状況であった。 そんなとき、長岡藩の支藩の三根山藩からお見舞いとして米百俵が送られたきた。藩士たちは浮き足立つ。当然、その米は自分たちにまわってくると思った。ところが、小林はその米を藩士たちに支給することは考えなかった。小林は米百俵を学校を作るための原資にしようとした。藩士たちは激怒した。
 劇の中では、激怒した藩士たちが小林の家を襲うが、最後は彼らは小林の崇高な理念の前に頭を下げることになる。

 小林が創立した学校は身分に関係なく入学できる国漢学校であった。この学校が成長して小学校となり、数多くの生徒を世に送り出し、その中から数えられないくらいたくさんの各界の名士がでた。
 山本有三が「米百俵」を書くきっかけになったのは、なぜ世の中で活躍している人の中で長岡出身の人が多いのかと疑問に思ったことだ。人口に膾炙している歴史上の有名人をあげると聯合艦隊司令長官山本五十六、解剖学の権威小金井良精(よしきよ)がいる。小金井は鴎外の妹と結婚し、その孫の1人が作家の星新一である。この2人以外にもたくさんの偉人といわれるぐらいの人が輩出した。
 小林の哲学は日本の国の将来は「人物」を養成することにかかっている。そのためには教育すなわち学校が一番大事だということである。この哲学は江原素六、福沢諭吉の哲学にも通ずる。
 私は明治の偉大な教育家たちの血の滲む努力と強固な信念に脱帽する。

 「米百俵」を補足する形で山本有三は「隠れたる先覚者小林虎三郎」という解説を書いている。この解説は小林の思想だけでなく、山本の教育に対する思いも読み取れてたいへんおもしろい。
 幕末から150年たった現在でも、教育は重要である。いつの世も国いや世界の未来は若い人たちの双肩にかかっているのはいうまでもない。
 「米百俵」はつくづくと教育の大事さを教えてくれる。ぜひとも教育にたずさわる人には読んでほしい一書である。

米百表之碑

※:写真は、長岡市にある米百表之碑です。

河井継之助記念館

※:写真は、長岡市にある河井継之助記念館です。

河井継之助像

※:写真は、記念館にある河井継之助像です。

山本有三記念館

※:写真は、三鷹にある山本有三記念館です。

庭から撮った山本有三記念館

※:写真は、庭から撮った山本有三記念館です。

路傍の石の石碑

※:写真は、記念館にある「路傍の石」の石碑です。

「未来を見つめる少年」のモニュメント

※:写真は、三鷹の商店街にある「未来を見つめる少年」のモニュメントです。
モニュメントには「この世に生きているものは、なんらかの意味において、
太陽に向かって、手をのばしていないものはないと思います。 有三」と刻まれ、
代表作「生きとし生けるもの」への愛情を、
未来を見つめる少年と生命力あふれるひまわりで表現しています。

井の頭公園の池

※:写真は、記念館からほど近いところにある井の頭公園の池です。

※:写真は、大森にある山本有三の案内板です。

※:写真は、有三が終焉の地である湯河原から見える風景です。

 
作文道場山本 有三(やまもと ゆうぞう)。
1887年7月27日 - 1974年1月11日。
本名は山本勇造。栃木県栃木市に生まれる。
東京府立一中、一高、東京帝国大学独文学科。
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