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読書感想文
 
徳田秋声「縮図(しゅくず)」を読む

本郷にある徳田秋声旧宅 尾崎紅葉にはたくさんの門下がいた。代表的なのが、泉鏡花・小栗風葉・柳川春葉そして徳田秋声である。この4人は紅門の四天王と称された。
 鏡花と秋声は同じく金沢市出身で、2人は同じ小学校に通い、鏡花は秋声の一学年下であった。鏡花は早くから作家を志して上京し、紅葉の門下になった。秋声は第四高等中学校に入学したが、学業の途中に父親が死去し、中学校を中退した。
 秋声は作家になるべく小説を書き、それを紅葉に送った。それだけでなく上京して紅葉の門を叩いたが、玄関番の鏡花に紅葉の不在を伝えられた。送った原稿も返送された。その後、秋声は放浪し、結局、鏡花の紹介で紅葉の門下になった。
 秋声は25歳で頭角を表し、その後50年近く作家活動を行った。執筆した長編・中編・短編の数は千を超えているといわれている。秋声は自然主義文学の大御所といわれるまでになった。
 紅葉並びにその門下はよく花柳界を題材にして小説を書いた。花柳界とは芸者と金を持った男たちが遊ぶところである。男が女と関係をもつのが花柳界ぐらいしかなかった時代である。そういえば、鏡花は芸者と結婚しようとして紅葉から破門されかかった。
 芸者は一見華やかであるが、突きつめて考えると、芸者とは金で売り買いされる人身売買の落とし子みたいなものである。率先して芸者になる女はほとんどなく、すべてといってよいほど、芸者は止むに止まれず芸者の道に入った。自分の身を売って、入った金で家族を助けたのである。その金は芸者自身の借金となった。芸者である間は借金を返すために芸者屋の主の監視のもと、いろいろな男たちの遊興の相手をした。パトロンができて、パトロンが借金を返済してくれれば、芸者は足を洗うことができ、そのパトロンの妾かうまくすると妻になった。
 おもしろいことに、昔の日本では、芸者に対して身分差別はなかった。人は芸者を卑しいとは見ていなかったのである。だからこそ、地位も名誉もある人たちが芸者を妻に迎えたのである。
 秋声の代表作は「縮図」である。文学史上では自然主義文学の最高傑作を謳われている。それで私も大学生の頃、読んでみたが、感動もなければおもしろくもなかった。しかし、その頃から30年以上もたって読み返してみると、何とも味わい深い作品になっていた。やはり、「縮図」は最高傑作だと思った。

 「縮図」は太平洋戦争が始まる前の昭和16年6月28日から新聞に連載された。日本橋芳町で芸者屋を営む銀子の半生を描いたものである。
 銀子も元は芸者であった。父親は靴屋を営んでいるが、商売がうまくいかず、長女の銀子は一家を助けるために芸者屋に売られた。最初に芸者デビューしたのが千葉であった。まだ十代半ばの銀子は右も左もわからなかったが、若い独身の医者に気に入られ、結婚を申し込まれた。しかしこの結婚話はうまくいかず、銀子は千葉にいられずに、東北の仙台より北の町に再び売られた。
 その町は、冬は厳寒であったが、銀子はすぐに環境になれ、東京から来た芸者ということで評判になった。地元の金持の息子がパトロンになり、その男から結婚を約束されたが、この話もだめになった。男は名家の娘と結婚してしまった。
 銀子は日本橋芳町の芸者屋に再び売られた。芳町では妻子持ちの若い株屋が銀子のパトロンになったが、大不況になるとその株屋も落ちぶれた。その上、銀子は肺炎になり死線をさまよったが、半年余り寝て回復した。物語はここで終わる。

 「縮図」は未完である。連載80回を数えて、当局から横やりが入った。当局は作風を書き換えろといってきたが、秋声は断り、中断が決まった。秋声は間もなく死を迎えるが、死ぬまで「縮図」のことが気がかりであったという。
 未完ではあるが「縮図」は本当にすばらしい作品である。淡々と銀子の人生を描いているのだが、何ともいえぬ生きることの重みを感じさせてくれる。長い間、人間の生活を見続けた大芸術家の作品である。

※:写真は、文京区本郷にある徳田秋声旧宅の石碑です。

 

写真は、文京区本郷にある徳田秋声旧宅の外観です。

 
作文道場徳田秋声(とくだ しゅうせい)
1872年2月1日(明治4年12月23日) - 1943年(昭和18年)11月18日。石川県金沢市生まれ。
小学生時代(現在の金沢市立馬場小学校)、一学年下に泉鏡花がいた。第四高等学校中退。
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