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読書感想文
 
谷崎潤一郎「幼少時代」を読む
日本橋蠣殻町谷崎潤一郎生誕地

 小説の登場人物に関西弁を語らせたら、谷崎潤一郎の右に出るものはないといわれるほど、谷崎の関西弁は見事である。それでは谷崎は関西出身かというと、それどころか生粋の江戸っ子である。江戸もど真ん中の日本橋の近くで生まれ育った。
 私は大の付くほど谷崎の小説が好きである。何回も何回も繰り返し読む。若い頃は、谷崎の描く異常ともいえる世界に魅了されたが、年齢を重ねるうちに、谷崎の描く古典的な世界に強く惹き付けられるようになった。その古典的な世界にはむろん江戸情緒も含まれる。私が谷崎のいくつかの小説を読んだときに感じるある種のなつかしさは、この江戸情緒に由来するのかもしれない。
 振り返って見れば、谷崎と江戸情緒は切っても切れない関係にある。谷崎の出世作「刺青」は江戸情緒そのものである。この作品を絶賛したのが、江戸情緒をこよなく愛する永井荷風であったことも頷ける。
 1868年に元号が慶応から明治になると、江戸は東京と名前が変わり、町の近代化に進む。だが、すぐに東京が近代的な都市になったわけではない。東京の町並は一部の地域を除き、明治時代を通じて旧態依然として江戸の町そのものであった。夏目漱石・森鴎外・永井荷風の作品が江戸の風情を色濃く漂わしているのは、彼らが青春時代を江戸の町で過ごしたからである。1886(明治19)年に生まれた谷崎も幼少時代を江戸の町そのもので過ごしたのである。この体験が小説のベースになっているのは当然といえる。

 谷崎の「幼少時代」は谷崎が物心ついてから小学校を卒業するまでをなつかしさを込めて書いた回想記である。一読して谷崎文学の原点を垣間見た気がした。
 谷崎は1886年に、日本橋近くの蛎殻(かきがら)町で生まれた。現在でいうと、兜町の証券取引所、水天宮、人形町に囲まれた地域である。この地は、江戸時代は米の取扱所が多くあり、米相場も行われた。そのため明治になると金融業の中心地となり、今では、銀行・証券会社のビルが林立している。いわゆる日本の金融業のメッカである。
 谷崎家が興隆するのは、谷崎の祖父九右衛門の代である。祖父はいろいろな商売を起こして財をなし、明治十年代に当時としてはハイカラな活版印刷所を経営した。これが谷崎家の母体になった。谷崎は「谷崎活版所」という看板のかけられた土蔵作りの家で生まれた。
 祖父には3人の娘があり、息子は長男を残してみな里子に出した。祖父は男の子より女の子が好きだったらしく、この性質を自分が受け継いでいるように思われると谷崎は述懐している。
祖父は長女と三女に養子をもらった。この養子二人は実の兄弟で、三女関(せき)の長男であった谷崎は伯母とその夫である伯父とも血がつながっていた。
 谷崎の父親すなわち関の夫は倉五郎といった。関は裕福な商人の家で育ったお嬢さんであり、また美しかった。谷崎はこの母親が大好きであった。だが、倉五郎は甲斐性がなく、やさしかったが、商売はからきしだめであった。義父の九右衛門からもらった財産を元手に種々の商売をするが、すべて失敗した。最後は米穀仲買人となった。いわゆる相場師であった。
 谷崎の幼少・少年時代は一家が華やかな頃から没落していく時期に当たった。家も蛎殻町界隈を転々とし、移るたびに家は狭くなった。
 家は没落していったが、将来の文豪である谷崎少年は、知らず知らずに感性を磨いていった。母や叔父に連れられて観にいった団十郎や菊五郎の芝居、水天宮の七十五座のお神楽や明徳稲荷のお神楽堂での茶番劇などをたのしみ、また、「少年世界」の小説を読んで小説を書いたりした。

 「幼少時代」を読むと、谷崎は江戸を懐かしんでいるようである。名文で綴られた最高の回想記である。

 
作文道場谷崎 潤一郎(たにざきじゅんいちろう)。
1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40年)7月30日。
小説家。『痴人の愛』『細雪』など多くの秀作を残し、文豪と称された。
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