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読書感想文
 
鈴木大拙「日本的霊性」を読む

 仏教とははたして何であるのか。仏教に関する本がそれこそ夥しいほどに出版されているのは、畢竟仏教とはよくわからないものだからではないだろうか。
 仏教は宗教なのか哲学なのかさえよくわからない。哲学ならばそこに論理が存在するはずだが、一般の論理は仏教においては使いものにならない。
 「日本的霊性」の著者である鈴木大拙は大乗仏教の根本原理を「即非の論理」と呼んでいる。これは肯定が否定で、否定が肯定だということで論理でも何でもない。たとえば「世界は即ち世界に非ず、是れ世界なり」の類である。この考えが仏教の根本原理といわれてもとまどうばかりである。

 「日本的霊性」は日本の仏教について書かれたものである。たいへん難解ではあるが、鈴木の語り口が面白く、親しみの湧く書である。
 鈴木は日本の仏教は日本的霊性が覚醒されたときにおこったといっている。そして、日本的霊性をもって日本の仏教を解明していく。
 まず、霊性とは何かというと、次のように説明する。

<なにか2つのものを包んで、2つのものがひっきょうずるに2つでなくて1つであり、また1つであってそのまま2つであるということを見るものがなくてはならぬ。これが霊性である。>

 わかったようなわからないような説明であるが、精神と物質を超えた矛盾する要素を含みながらも全体を支配する意識みたいなものをいうのであろう。霊性の日本的なものが触発されたときに初めて日本に本当の意味で仏教がおこったと説く。その仏教とは禅宗と浄土教である。鈴木にいわせると南都北嶺の仏教は真の仏教ではないことになる。
 なぜ禅宗と浄土教であるのか。霊性は大地と直接つながっていなければならないからである。鈴木は万葉集にも古今和歌集にも宗教心は一切見えないと喝破する。万葉集や古今和歌集には恋人を思ったりする情はでてくるが、日本的霊性は自覚されていないと見る。 なぜ万葉集や古今和歌集が日本的霊性を自覚していないかというと、和歌をつくっている宮廷人たちが大地とつながっていなからだとする。宮廷人たちが国を支配している間には本来の仏教は起こらなかったのである。
 本来の仏教は鎌倉時代になって初めて現れてくる。鎌倉時代に権力が宮廷人から武士に移行したからである。武士は直接に大地につながっている。その武士が農民を支配し、ここに国全体が大地とつながったのである。

 「日本的霊性」は禅宗と浄土教を日本的霊性を自覚したためにおこった仏教と規定し、そして、浄土教は法然そしてその弟子親鸞によって完成されたとしている。
 鈴木の法然・親鸞にたいする思いには非常に熱いものがある。親鸞の唱えた絶対他力はまさに日本的なものであるといっている。法然と親鸞とは1個の人格であるともいう。親鸞は長く京を離れ、田舎にいたことで直接大地とつながり、日本的霊性を喚起させ独自の仏教を完成させたのであろう。
 親鸞の偉大さはとりもなおさず「南無阿弥陀仏」のすごさである。この6文字は誰でもが称えることができるのである。この6文字を何べんも称えると生きたまま極楽にもいける。
 鈴木は「南無阿弥陀仏」について妙好人(みょうこうにん)である浅原才市を通してくわしく言及している。妙好人とは、浄土系信者の中で特に信仰に厚く徳行に富んでいる人のことである。才市が「南無阿弥陀仏」と一体化しているのがよくわかる。

 「日本的霊性」は難しいが、浄土教がなぜ広く流布したかを納得させてくれる名著である。

 
作文道場鈴木 大拙(すずき だいせつ)。本名:貞太郎〔ていたろう〕。
英字:D.T.Suzuki。明治3(1870)年 - 昭和41(1966)年7月12日。
仏教学者(文学博士)。大拙は居士号。石川県金沢市本多町に、旧金沢藩藩医の四男として生まれる。東京帝国大学選科に学び、在学中に鎌倉円覚寺の今北洪川、釈宗演に参禅した。
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