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読書感想文
 
志賀直哉「赤西蠣太(あかにしかきた)」を読む

 志賀直哉の小説の題材のほとんどは自分が体験したことである。いわゆる私小説といわれるものが大半である。
 志賀の最高の傑作が「城の崎にて」であることを認めるのに私はやぶさかでない。この小説は私小説の最たるものであるが、おもしろさまたはうまさという意味で傑作なのが「赤西蠣太」だと私は思っている。
 「赤西蠣太」は志賀の作品の中では異色である。この小説は歴史を題材にして、ストーリーのおもしろさを追求している。私は「赤西蠣太」を読んだとき、志賀の違った面を見た思いがした。ストーリーテラーとしても志賀は一流だと思った。

 「赤西蠣太」は仙台藩で起こった伊達騒動を背景とした短編である。
 伊達騒動は歴史上たいへん有名な騒動で歌舞伎の「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」はこの騒動を扱ったものである。
 伊達騒動といえば、原田甲斐が悪人と相場が決まっているが、実は原田は悪人どころか、仙台藩の分割を狙う幕府から仙台藩を救った忠臣であったという説もある。山本周五郎の「樅の木は残った」は原田甲斐忠臣説をベースに書かれている。
 伊達騒動は伊達兵部派と伊達安芸派の争いである。仙台藩は伊達兵部とその家老の原田甲斐によって実質支配されていた。それに対して伊達安芸が幕府を巻き込んで伊達兵部派を追い落とそうとするのである。伊達藩は62万石の大藩であった。幕府にとっては伊達藩の御家騒動は伊達藩を分割させる格好の理由になった。
 「赤西蠣太」の舞台は伊達安芸派と伊達兵部派が相手を潰そうと鎬を削っているただ中に設定されている。

 赤西蠣太は伊達兵部の江戸屋敷に勤務する侍である。年の頃は30代半ばで、容貌は醜男(ぶおとこ)である。たいへん野暮臭い侍であったが、度胸満点の侍でもあった。腸捻転になったとき、自ら刀で腹を切って腸のねじれを直したという。
 赤西には銀鮫鱒次郎(ますじろう)という将棋友達がいた。鱒次郎ははつらつとした美しい男で、おまけに酒は好き、女は好きといった、赤西とは対極にあるような若侍であった。
 鱒次郎は愛宕下(あたごした)の仙台屋敷にいる原田甲斐の家来であった。実は、赤西と鱒次郎は伊達兵部と敵対する伊達安芸派のスパイであった。赤西は伊達兵部の、鱒次郎は原田の動向を探り、それを報告書としてまとめていた。
 報告書がある程度出来上がったとき、鱒次郎は赤西に報告書をもって白石に帰るようすすめた。赤西は同意したが、さて困ったのは、どんな理由で伊達兵部の屋敷から暇をもらうかであった。鱒次郎は一計を思いついた。その一計とは赤西が屋敷にいられない醜聞を起こして夜逃げをするということであった。その醜聞とは兵部の屋敷にいる、美人として誉れの高い小江(さざえ)という腰元に艶書を送ることであった。醜男が美人の腰元に艶書を送ってすげなくされる。いい恥さらしであった。
 赤西は苦労して艶書を書き上げ、それを小江に渡した。返事はなかなか来なかった。赤西は返事を催促する手紙を意図的に屋敷の中に落とした。その直後赤西は小江から返事をもらった。その返事を読んで赤西は驚いた。思いもしないことが書かれていた。小江は赤西に密かに好意を抱いていたことを告白し、赤西の手紙で、今は結婚まで考えていると打ち明けていた。
 翌朝、赤西が屋敷に行くと、老女の蝦夷菊(えぞぎく)から、落とした手紙が彼女に拾われたことを聞かされた。老女は赤西に好意をもっており、手紙の内容は秘密にするといって手紙を返してくれた。
 赤西は老女に書置を残した。痴情におぼれたことを詫び、2度と貴女に会うことはできないと書かれていた。赤西は江戸を去り、白石へと急いだ。
 老女はしょうがないので兵部に赤西の書置を見せた。兵部は笑った。そして、兵部はおもしろい話として原田甲斐にもそのことを話した。原田は初めは笑ったが、段々に不機嫌になり、しまいに、老女と小江を取り調べた。
 伊達騒動の大団円はその後起こるのである。

 「赤西蠣太」のストーリーのおもしろさそして赤西と小江の心理描写は見事といってよい。短編のおもしろさを十分に堪能させてくれる作品である。
 志賀直哉は本質的には私小説作家を超えた作家であった。

志賀直哉「小僧の神様(こぞうのかみさま)」を読む

 志賀直哉という作家は生涯において長編小説は「暗夜行路」しか書かなかった。私は若い頃、志賀の作品集を読んでいるとき、志賀の作家としてのキャリアを考えると、長編小説1作はあまりに寂しいと思ったものだ。
 ところが今ではそうは思わない。「暗夜行路」は傑作中の傑作ではあるが、志賀はやはり本質的には短編作家であると私は思っているし、大方の人もそう思っているに違いない。
 短編の良し悪しの基準は人それぞれによって違うだろうが、私は基準を、読み終えたあと長編小説を読んだときと同じ気持にさしてくれるかどうかに置いている。名短編はすぐれた長編小説に匹敵するものなのだ。結局、名作に長い短いは関係ないのである。こう考えるまでに私はかなりの読書体験を積まなければならなかった。
 若いとき、「暗夜行路」のすごさは何となく理解できたが、正直、志賀の短編を堪能することはできなかった。やはり、文学というものは特に短編小説は読み手が人生経験をして精神的にある程度成長しなければ理解できないものなのかもしれない。
 私は40歳を過ぎた頃から、若いときに読んだ作品を猛然と読み返した。ほとんどの作品が初めて読んだ印象をもった。とくに志賀の短編にはびっくりした。とにかくほれぼれとするくらいにうまいのである。特に、「小僧の神様」には畏れいった。長い外国文学を読んだような興奮を覚えた。私はこの短編の中に人生における決定的な原理である<すれ違い>を見事にさわやかに描いているのにただただ脱帽した。「小僧の神様」の主題は長編小説のテーマになってもよいものである。

 「小僧の神様」の主人公は仙吉である。仙吉は神田のある秤(はかり)屋に奉公する小僧である。小僧だから金はない。仙吉はよく番頭たちが鮨(すし)の話をしているのを聞いて、1度思い切り鮨を食べたいと思うようになった。
 ある日、仙吉はお使いに出された。帰りは電車でなく歩くことにしたので4銭浮いた。仙吉は思い切って屋台の鮨屋に入った。仙吉はもじもじしながら海苔巻を注文したが、鮨屋の主人はそっけなく海苔巻はないといった。仙吉は意を決して目の前に並んでいる鮪(まぐろ)鮨の1つに手をつけた。すると主人に<それは1つ6銭だよ>と言われてすぐ手を引っ込めた。そして仙吉はいたたまれなくてその店を逃げるようにして出た。
 そのとき、その場にAという若い貴族院議員がいた。Aは小僧を気の毒に思った。ある日、Aは神田に秤を買いにいった。そこでAは偶然仙吉に会った。Aは仙吉をうまく店から連れ出し、鮨屋に連れていった。Aは店に入らず、仙吉だけが店に入り、そして腹一杯鮨を食べた。仙吉は幸福の絶頂に達した。
 鮨屋はAから多額の金をもらっていて、小僧に鮨を腹一杯食べさせるようにとAから頼まれていた。1回の食事ではとうてい預かったお金の分だけ食べられないので、店のおかみは仙吉にまた来るようにと言った。だが、仙吉は2度とその店には行かなかった。
 Aは自分の行動をどこか偽善めいていると感じ、うしろめたいようなさみしい気持に襲われた。逆に、仙吉はAのことが忘れられなかった。彼は悲しいとき、苦しいとき、かならずAのことを思った。
 物語はここで終わるのだが、物語の最後、作者はコメントを付している。仙吉は思い切ってAの住所をたずねていくのだが、そこにはAの家はなく、ちいさな祠(ほこら)があるだけであったというような終わり方にしようと作者は意図したらしい。

 Aにとっては偽善めいたことが、小僧にはそれが神の行いのように思われたのである。人生の不合理さを健康的に捉えた作品といえる。志賀は子供の純真さを通して、人生の奥深さの一旦をかいま見せてくれたのである。

青山墓地にある志賀直哉の墓

※:写真は、青山墓地にある志賀直哉の墓です。

※:写真は、川崎市溝ノ口にある陶芸家濱田庄司生誕の地です。

※:写真は、濱田庄司生誕の地の案内板です。

作文道場志賀 直哉(しが なおや)
明治16年(1883年)2月20日 - 昭和46年(1971年)10月21日)。小説家。
宮城県石巻市生まれ。白樺派を代表する小説家のひとり。代表作は『暗夜行路』、『和解』、『小僧の神様』、『城の崎にて』。
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