数学道場、総合案内
line decor
 
line decor
日本文学編に戻る
名曲を聴きながら
名作を読んでください
line decor
読書感想文
 
司馬遼太郎「殉死(じゅんし)」を読む

乃木大将夫妻殉死の部屋 乃木希典(まれすけ)とは一体何者であろうか。日露戦争の際、203高地を攻略するために6万人近い軍人の命を失わしめた陸軍大将である。
 太平洋戦争中、陸軍の兵隊であった司馬遼太郎ははっきりと乃木のことを、司令官として無能であったといっている。しかし、乃木は明治天皇の御大葬の日に、妻静子とともに自刃して以来、現在に至るまで軍神として多くの日本人から崇められている。
 夏目漱石は乃木のことを明治の精神といい、「こころ」の先生は乃木の殉死を自殺の一つの理由にしている。
 森鴎外は乃木のことを畏敬しており、日露戦争において2人の息子を戦場で失なった乃木のことを漢詩で偲んでいる。乃木の殉死の報を聞くや、殉死をテーマにした小説を夜を徹して書き上げた。漱石と鴎外は乃木の死をもって明治の終焉を実感した。
 司馬は乃木について「殉死」という、本人にいわせると、覚書みたいな作品を書いている。この作品を出版するとき、かなり躊躇したらしい。そのときは、まだ、乃木の学習院院長時代の教え子である昭和天皇が存命であったからだ。昭和天皇は司馬の「殉死」を読んで、「こんなもんだろう」と話したようである。

 「殉死」はある意味衝撃的な本である。何しろ、神様になった乃木を無能呼ばわりしているからだ。ただし、あくまでも軍事技術においてだが。司馬は陸軍に対しては、拭い難い嫌な思い出を持っていた。私は陸軍時代のことを懐かしむ元陸軍軍人を知らない。
 「坂の上の雲」によって、日露戦争という近代戦争を書いた司馬は、終生、昭和の戦争を作品として書くことはなかった。書けなかったのだろう。
 陸軍の大先輩であり、神様になった乃木を批判的に書くことに、司馬はよほどの覚悟があったことは想像できる。その覚悟があったからこそ、「殉死」は司馬の膨大な作品群の中でもとりわけ際立っている。明治の精神と乃木のことを知る上では、最高の本である。 司馬は乃木を通して、明治の精神を見事に描いている。「殉死」の文章は重厚である。この文章を書いているときの司馬は、漱石・鴎外のレベルまで、明治の精神に思いを馳せていただろう。
 乃木は明治の精神の象徴である。それでは、明治の精神とは何であろうか。明治の精神と切っても切れない関係にあるのが、江戸時代の兵法学者の山鹿素行である。素行は<それ、天下の本(もと)は国家にあり、国家の本は民にあり、民の本は君にあり>といっている。君とは天子であり、明治においては天皇である。
 明治とは、この素行の理想が具現化した国家であった。吉田松陰が目指したのもこのような国家である。乃木は松陰の師匠で叔父にあたる玉木文之進の縁族の一人である。乃木は玉木の弟子になったため、松陰は乃木の兄弟子ということになる。乃木は松陰と同じように、素行の思想を少年時代から身につけていたのである。
 乃木にとって天子(明治天皇)は特別なものであった。天子は民である日本人の本であるからだ。日本人にとって、天皇の赤子(せきし)という言葉が素直に心に響いたのが明治の世であった。
 明治天皇は乃木を愛した。おそらく明治天皇が一番愛した臣下は乃木ではなかったか。だからこそ、幼い皇孫(のちの昭和天皇)の教育を任せたのではないのか。乃木が学習院院長になったのは、明治天皇の推薦があったからである。その点、乃木は福沢諭吉・新渡戸稲造のような根っからの教育者ではなかった。

 司馬は明治という時代を<明治という国家>と呼ぶほど、明治を特別な時代と思っていた。明治時代は、日本の歴史上、天皇が本当に民の本になった時代であったのかもしれない。少なくとも、漱石と鴎外はそのことを肌で感じていたはずである。
 「殉死」は明治の本質をするどく衝いた名著である。

毛利庭園横の公園にある乃木大将生誕地の石碑

※:写真は、六本木にある毛利庭園横の公園にある乃木大将生誕地の石碑です。

山口県の乃木神社に建っている乃木将軍の像

※:写真は、山口県の乃木神社に建っている乃木将軍の像です。

東京乃木神社に建っている乃木将軍の像

※:写真は、東京乃木神社に建っている乃木将軍の像です。

青山墓地にある乃木将軍の墓所

※:写真は、青山墓地にある乃木将軍の墓所です。

 
作文道場司馬遼太郎(しば・りょうたろう)。
大正12(1923)年、大阪市に生れる。大阪外国語大学蒙古語科卒業。昭和35年。「梟の城」で第42回直木賞受賞。41年、「竜馬が行く」「国盗り物語」で菊池寛賞受賞。47年「世に凄む日日」を中心にした作家活動で吉川英治文学賞。51年日本芸術恩賜賞受賞。56年、日本芸術会員57年、「ひとびとの跫音」で読売文学賞。58年、「歴史小説の革新」についての功績で朝日賞受賞。59年「街道がゆく”南蛮のみちⅠ。」で日本文学大賞受賞。62年、「ロシアについて」で読売文学賞受賞。63年、「韃靻疾風録」で大佛次郎賞受賞。平成3年、文化勲章受賞。著書に「司馬遼太郎全集」「司馬遼太郎対話集」(文藝春秋)ほか多数がある。平成8(1996)年没。<文春文庫:「殉死」より引用。)
読本プレゼント
line decor
株式会社河野 株式会社河野 Net個人指導道場
Copyright © 2007-2016 KOHNO.Corp All Rights Reserved.