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読書感想文
 
永井荷風「すみだ川」を読む

 永井荷風が長い西洋の旅(実際には仕事であったのだが)から日本に帰国したのが1908年(明治41年)であった。その頃日本は、日露戦争後で、国は日1日と近代工業化社会へと邁進していた。荷風が西洋へと旅立つ前とは東京は大きく様変わりしていた。
 帰国した荷風は東京の街を散策するが、昔の面影を残しているところは少なく、唯一荷風に郷愁を感じさしてくれたのが隅田川両岸の風景であった。隅田川に架かる永代橋と両国橋は鉄のつり橋に変わっていたが、新大橋と千住の大橋は木造りの姿をとどめていた。 荷風は隅田川を背景とした小説を書いてみようと思った。そして書き上げられた作品が「すみだ川」である。
 「すみだ川」は作品全体が江戸の風情を漂わせている。もし、「中学校」という明治の教育を象徴する言葉がでてこなかったら、江戸時代の物語と錯覚してしまう。
 この小説の舞台は今戸である。浅草・今戸は江戸の下町そのものといってもよい。吉原が近くに位置する。江戸の情緒・風情を残しているのが隅田川の河岸にある浅草であり、そして今戸は浅草に接している。
 今戸といえば、広津柳浪の「今戸心中」が思い浮かぶ。荷風が作家として立とうとしたとき、最初に師事したのが広津柳浪であった。そのとき、荷風は中学生であったが、中学校へはほとんど通わなかった。荷風少年は芸事にあこがれ、落語家そして歌舞伎の劇作家をめざした。いつしか、学校はやめていた。これらの体験が「すみだ川」には色濃く反映されている。

  「すみだ川」の主人公は長吉である。長吉は中学校の生徒で、母1人子1人の家族である。母はお豊といい、今戸で常磐津(ときわず)の師匠をしている。お豊には俳諧師松風庵蘿月(らげつ)という兄がいる。
 長吉が中学校に進んだのは自らが望んだことではない。お豊が長吉を大学まで進めて、生活の安定した勤め人にしようとしたからである。そのために、お豊はもっているものをすべて長吉の教育のために捧げた。
 長吉にはお糸という幼なじみがいた。2人は学校の帰り道には毎日のように待乳山(まつちやま)の境内で待ち合わせて、人の知らない山谷の裏町から吉原田圃を歩いた。
 お糸は大工の娘であったが、芸者になることが決まっていた。実際、お糸は芸者になるために葭町(よしちょう)の芸者屋にいってしまった。
 長吉はお糸のことが好きであったが、なすすべがなかった。お糸のことを思えば思うほど勉強がいやになった。長吉はお豊をだまして学校を休むようになり、とうとう落第してしまった。長吉はもう勉強したくなかった。彼は芸人になりたかったのである。
  母親のお豊は頭を抱えた。お豊は兄の蘿月に相談した。蘿月は俺にまかせろといい、長吉に勉強を続けるよう説得した。
  蘿月は若いときに放蕩をし、親から勘当された身であった。親の家は代々続く由緒ある質屋で、蘿月少年はそろばんはじいて帳簿をつける仕事は絶対にしたくなかった。蘿月少年も長吉と同じように芸人として行きようとしたのであった。
 大雨の日の翌日、町は洪水になりそれを見ようと長吉は散歩に出た。それがもとで、長吉は風邪をひき、風邪が嵩じて腸チブスになった。長吉は入院し、生死をさまよった。
  おじの蘿月はお豊に家に行き、長吉の部屋で偶然、長吉がお糸に認めた手紙を見つけた。その手紙は中途で終わっていたが、蘿月は一読して全体の内容を理解した。お糸に対する長吉の思いと、長吉の芸人になりたい気持ちとを理解したのである。今回の腸チブスも長吉の死にたい気持が原因だともわかった。
  蘿月は長吉と自分の過去とを重ね合わせた。<長吉、安心しろ。おれがついているんだぞ>と蘿月は心の中で叫んで、物語は終わる。

 私にとって荷風の小説はなつかしさを醸しだしてくれるものばかりである。特にこの「すみだ川」はなつかしさそのものといってよい。
 「すみだ川」には私たち現代人が忘れ去った美しく温かい何ものかが間違いなく描かれている。

永井荷風「腕くらべ」を読む

 永井荷風の小説には苦界に身を沈めた女を描いたものが多い。娼婦・芸者などを扱ったもので、荷風の小説が花柳小説といわれるゆえんである。
 茶屋・待合は男にとって必要不可欠な場所であった。特に、上流社会の政治家・実業家などの人間にとって茶屋・待合は仕事場といってもよかった。
 茶屋・待合で何をするかといえば、そこに置屋から芸者を呼んで、酒を飲みながら談笑するのである。芸者は芸を表向き売っているが、最終的には体を売るのを目的としている。結局、茶屋・待合というところは男と女が肉体的に結ばれる場所であるのだ。
 戦前の日本で男と女の世界を考えるに、遊郭・茶屋・待合を措いて考えることはできない。当然、文学の対象となってもよいのだが、茶屋・待合の世界を本気に格調高く描いた名作は少ない。その数少ない名作もほとんど荷風が書いたものだ。荷風は性欲を剥き出しにした男と女の色恋沙汰を微にいり細をうがって描いているが、決して俗受けを狙ったものではない。それは荷風だからこそ描ける超現実的な根源的な男と女の世界といってよい。
 私は荷風の描く世界が大好きである。井原西鶴・近松門左衛門の世界とどこかで重なりあう世界だからだろうか。荷風の人を見る目はするどい。

 「腕くらべ」は芸者の世界を描いた小説である。主人公は20代半ばの年増の芸者である。名は駒代という。苦界の世界では20代半ばは年増、30歳になると大年増をいわれたらしい。
 駒代は親兄弟のいない天涯孤独な境遇である。当然のごとく、芸者の世界に入った。20歳になる前に、秋田の金持の息子に身受けされ、その妻となって秋田で生活するようになった。ところが結婚して数年たつと夫が急逝した。未亡人として家に居座ることもできたが、居たたまらなくて東京に舞い戻ってきた。行くべきところは昔馴染んだ芸者の世界であった。新橋の尾花屋という芸者屋の抱えとなり、駒代という名で再び売り出した。
 駒代に早速目をつけたのが、吉岡という保険会社のエリート社員であった。吉岡は株でかなり儲けていた。吉岡は大学時代から茶屋遊びをしており、そのとき名を駒三といった駒代と関係をもったが、大学を卒業しヨーロッパに留学して自然と縁が切れた。
 40歳近くなった吉岡は社会的・経済的にも力ある人間になり、駒代を惚れ直し、駒代の旦那となると同時に、駒代を身受けして妾にしようとした。鎌倉に新しく一軒家を建て、そこに駒代を住まわせようとしたのである。
 駒代はこの吉岡の要求を拒んだ。そのうち、偶然、駒代は役者の瀬川といい仲になり、これが吉岡の聞き及ぶところとなり、吉岡は復讐も兼ねて、駒代と同じ尾花屋の菊千代を身受けしてしまう。駒代は嫉妬に狂う。
 吉岡に袖にされた駒代は瀬川に泣き付き、2人はより深い関係になっていく。駒代は瀬川と結婚するつもりであったが、瀬川はだんだんと駒代が疎ましくなり、心が離れていった。結局、瀬川は別の女を妻にすることになった。駒代は1人ぽっちになった。
 そんな状況のとき、尾花屋を仕切っていた十吉姉さんが死んだ。駒代はこれを機会に田舎に行きたいといいだした。
 十吉の亭主は呉山といい、もういい年で、尾花屋の運営はすべて十吉にまかせていた。呉山は身寄りのない駒代に深く同情し尾花屋を駒代に譲り渡すことにした。駒代は嬉しくもあり悲しくもあった。ここで物語は終わる。

 「腕くらべ」の描かれている世界は芸者の世界であるが、その世界を支えているのはやはり江戸時代である。茶屋・待合・新橋・柳橋・根岸・築地・銀座・成田屋・音羽屋など、どれも江戸の風情を色濃くただよわせている。この作品を読んでいくとふと時間を超えてなつかしき江戸の世界に舞い込んだ気がしてくる。それが可能なのは荷風の教養の深さそして広さのためだろう。
 荷風はこよなく江戸を愛していたのだ。

 
永井荷風「おかめ笹」を読む

 永井荷風の描く世界は広くない。表の社会の影に隠れて生きる女たちを中心に、その回りを男たちが蠢くといった世界である。
 広くない世界ではあるが、この世界は人間社会にしっかりと根づいている。この世界では男も女も飾りをとって本性を剥き出しにする。いわば人間の本当の姿を見ることのできる世界ともいえる。
 荷風の偉大さはこの男と女の蠢く世界を感情に流されることなく、実にリアルに描ききっていることである。そして、そのリアルさはどこか滑稽さをともなっている。
 荷風の小説全体にいえることだが、荷風の描く人間たちには小賢しい悪を行うものもいるが、どこか愛嬌めいたものを感じる。血を凍らせるような悪人は荷風の世界にはでてこない(例外として「あめりか物語」には出てくるが)。どこか、荷風の描く世界が落語の世界に似ていると私はつねづね思ってきた。落語の世界にも真からの悪人はでてこない。一生懸命生きていると思わず悪と思われることをやってしまうことがある。しかし、その悪を行う人間の姿にはどこか滑稽さがある。この滑稽さを荷風は見逃さなかった。荷風の書く小説の底知れないおもしろさはこの滑稽さにあるのかもしれない。人間の滑稽さ。これは間違いなく荷風文学を解く鍵だと私は思っている。

 「おかめ笹」は荷風自身がいっているように滑稽小説である。たいへんおもしろい。荷風の小説はおもしろいものばかりだが、とくに、「おかめ笹」はおもしろい。
 この小説のおもしろさは何といっても主人公鵜崎巨石(うざききょせき)の受動的な生き方からきている。
 鵜崎は一応画家である。一応といったのは絵を描いて生きていくことはできないからである。鵜崎の師匠は内山海石という。内山は文部省の公設展覧会の審査員を勤める当代名だたる大家である。鵜崎は表向き独立しているとはいえ、内山の執事として、内山の家に出入りをして雑用をこなし、その見返りとして内山からいろいろと便宜をはかってもらっている。
 鵜崎は画家ではあるが、絵の特別の才能はない。3人兄弟の長男として育った。弟と妹がいる。弟は陸軍士官学校出のエリート軍人、妹は女子師範学校での小学校の先生である。鵜崎は受験した学校はすべて不合格であった。しょうがなく画工の道を進んだといってもよい。年老いた母親の面倒を弟に押し付けた鵜崎は弟・妹には頭があがらなかった。
 鵜崎は小心もので、その生き方は受動的で自分から何かをなそうということはなかった。だが、性格は真面目で誠実であった。そんな鵜崎を頼りにする人間がいた。それは内山の長男の翰(かん)であった。翰は不真面目な人間ではあったが、それでも親の七光りで大学の法学部を卒業した立派な法学士であった。何回も落第したためか、大学を卒業するときは30歳を優に超えていて、未だに職についていない。
 そんなダメ人間でも翰は女遊びは人並み以上にした。待合の女とはよく問題を起こした。そのたびに尻拭いをするのは鵜崎であった。しかし、この翰が鵜崎に幸運を運んでくるのであった。
 翰はある元知事の娘蝶子(ちょうこ)と結婚した。蝶子は元知事の正妻が生んだ子ではなく、元知事がある茶屋の女に生ませた子であった。翰と蝶子とは結婚当初は仲睦まじかったが、蝶子が自分の出生の秘密を翰に打ち明けてから2人の関係はぎくしゃくしだした。そして、翰は再び女遊びをするようになった。
 蝶子は家出をするが、鵜崎のとりなしで蝶子は元の鞘に収まった。この功績で鵜崎は蝶子の親の元知事に信用され、元知事から割のいい仕事を与えられた。そして、小金も手にいれることができた。鵜崎はその小金で芸者の旦那になることができた。
 物語は鵜崎が小さな幸せを手にいれたところで終わる。

 才能もない小心翼々たる男が、受動的に真面目に誠実に生きていく。そんな男でも小さな幸福を手に入れることができる。それは半ば意志ももたず、奴隷状態でけなげに生きる体を売る女たちの行き方とどこか重なりあう。
 そんな男と女の生き方に荷風は人間らしい滑稽さを見て取っているのだ。

 
作文道場永井荷風 (ながい かふう)
1879年(明治12年)12月3日ー1959年(昭和34年)4月30日。
本名は壯吉(そうきち)。
号は断腸亭主人、金阜山人。
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