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読書感想文
 
室生犀星「杏っ子(あんずっこ)」を読む

室生犀星の次の詩はたいへん有名である。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとのおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかえらばや

 私は詩はどうも苦手であった。だがこの犀星の詩だけは一読して胸にじーんときた。貧しき文学青年の思いを謳ったような気がした。私はこの詩を読んだとき、この詩は東京で読まれたものだと思っていたが、後年、この詩は金沢で読まれたものということを知った。金沢は室生犀星のふるさとである。

 室生犀星は私生児であった。生まれ落ちると僧侶の養子となった。実の母親の思い出はほとんどない。犀星は生涯母親の面影を追い求めた。犀星はほとんど学歴というものがなく、21歳のとき文学の思い断ち難く、東京へと上京する。そして貧しさのどん底の中で文学に精進するのである。
 私にとって犀星は文学の鬼みたいな人である。私はなぜか太宰治を見る似たような感情で犀星を見た。貧しさと孤独の中で文学の道を歩む姿は私には敬愛措く能(あたわ)ざる人たちのものである。また2人とも北国の出身である。

 室生犀星の「杏っ子」は犀星の晩年の小説であり、犀星の書いた一番長い小説でもある。この作品は犀星の自伝的小説の側面ももっている。主人公は犀星と思しき詩と小説を書く有名な作家平山平四郎である。杏っ子とは平四郎の娘杏子のことである。
 物語は大きく前半と後半に分かれる。前半は平四郎が生まれたときから平四郎が結婚して杏子を生み、そして杏子が結婚をするまでである。後半は杏子の結婚生活が中心で、夫婦生活が破綻して離婚するまでである。
 前半の始め、平四郎が私生児であることがあかされる。平四郎はある元足軽とその家の女中との間にできた子であった。平四郎は子供をもらうのを商売にしているような家に養子に出される。養子先の母親は青いのおかつといった。平四郎は青いのおかつのもとで半ば虐待されながら育っていく。裁判所の事務員をしながら文学に目覚めていく。そして、東京に出て行くのである。
 平四郎はどうにか文学で身を立てられるようになり、結婚する。妻はりえ子といった。娘の杏子が生まれてすぐ関東大震災が起こる。
 平四郎は杏子を美しい女に育てたいと思った。杏子は成長し、そして、戦争で疎開していた軽井沢で知り合った亮吉という男と結婚する。
 物語の後半は杏子と亮吉の葛藤が中心となって展開される。亮吉は定職に就いていなかった。彼は作家志望であった。毎日小説を書き、作品が仕上がると出版社にその作品を持ち込んだ。だが、小説の原稿が活字になることはなかった。平四郎は冷ややかに亮吉を見ていた。亮吉はいつしか平四郎に嫉妬心をもつようになっていた。その嫉妬心が嵩じれば嵩じるほど亮吉は杏子につらくあたった。杏子は全面的に亮吉の生活の面倒をみた。杏子の持ち物は生活費のためにすべて売られた。亮吉は杏子のひもみたいであった。
 亮吉はいつしか杏子に暴力を振るうようになり、結婚4年でいよいよ離婚となった。それまでずっと平四郎は杏子を見守っていた。少なからぬ援助もした。だが、平四郎から離婚せよとはいわなかった。

 「杏っ子」は新聞に連載されたので、たいへん読みやすい。私は平四郎を犀星とだぶらせて読んだが、亮吉をも犀星とだぶらせて読んだ。
 苦しみもがいている文学青年の亮吉を杏子は親身になって応援する。日々の亮吉からの嫌がらせにも耐えて、杏子は夫に尽くすのである。杏子は亭主を一人前の作家にしてから離婚するつもりだった。杏子は亮吉の姿に若い頃の平四郎の姿を重ねていたのかもしれない。もしかしたら杏子は犀星の永遠に求めてきた実の母親のイメージであったのだろうか。
 「杏っ子」は室生犀星の魂の遍歴を書いた小説である。

 
作文道場室生 犀星(むろう さいせい)。
1889(明治22)年8月1日 - 1962(昭和37)年3月26日。
石川県金沢市生まれ。本名: 照道(てるみち)
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