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読書感想文
 
三島由紀夫「豊饒の海 第二巻 奔馬(ほんば)」を読む

 時代が江戸から明治になってしばらくの間、西日本では士族の反乱が続発した。1874年には佐賀県の佐賀の乱、1876年には熊本県の神風連の乱・福岡県の秋月の乱・山口県の萩の乱が起こり、そして掉尾を飾るのが鹿児島県の西南戦争である。いずれも、政府によって鎮圧され、その後、日本は近代国家になるために発展し、昭和になると世界の5大国の1つにまでなった。 
 昭和になると成長は影を潜め、国は不況のどん底になった。このとき、明治の士族の反乱のような乱が起こるようになった。昭和7年の5・15事件、昭和11年の2・26事件が歴史上有名であるが、それに劣らず、昭和7年に起こった血盟団事件なるものも有名である。
 血盟団とは井上日召なる日蓮宗の僧侶をリーダーとする集団で、政財界の要人20数人を殺すことを意図していた。いわゆるテロ集団であった。ただ、単なるテロ集団ではなく、団員には東大生・海軍軍人などがおり、テロを通して、海軍内部の同調者と連携し、クーデターを起こすことを考えていた。クーデター後、天皇中心主義に基ずく国家革新を行うことを謀ったのである。実際に、前大蔵大臣の井上準之助、三井合名理事長の団琢磨が殺された。
 戦後、当然のように、進歩派といわれる知識人たちは、血盟団の行動を大いに断罪しているが、中には血盟団の心情を思いやる大知識人がいた。三島由紀夫である。
 おそらくというより間違いなく、三島の「豊饒の海 第二巻 奔馬」は、血盟団事件に材をとった作品である。

 「奔馬」の主人公は飯沼勲である。勲は19歳の若さで死んだ「春の雪」の主人公松枝清顕の生まれ変わりである。
 勲の父である飯沼茂之は松枝家の元書生で清顕の教育係であった。飯沼は名の知れた右翼であり、剣道の道場を経営していた。道場経営は軌道に乗り、大勢の門下生をかかえていた。勲も門下生の一人で、19歳にして三段の剣道の達人であった。
 清顕の友人の本田繁邦は38歳になり、大阪の裁判所の判事である。結婚して、大阪に住んでいる。
 物語は、昭和7年、折しも5・15事件が起こってからまもなくして始まる。日本の国は不況のどん底に喘ぎ、農民は苦しみ、特に東北地方では餓死者が増え、年ごろの娘を持った親はなくなく娘を女郎に売ることもあった。財閥は農民の苦しみを横目に、政府・軍部と結託して利益をあげていた。ある大財閥はドル買いをして莫大な利益をあげた。その財閥のトップが蔵原武介である。
 19歳の勲は憂国の士であった。勲は仲間を募り、諸悪の根源である財閥のトップたちを殺すことを計画した。勲たちは念入りに計画を練った、陸軍の堀中尉も参画してくれることになった。10人近くの財閥のトップを殺すことで、同じ志を持つ陸軍の有志たちの決起を促してクーデターを起こすことを目論んだ。
 だが、堀は中国大陸に移動となり、堀は計画をやめることを勲に命じた。数人の仲間たちが離れていった。それでも勲たちは計画を実行に移すことにした。一人が一人を殺す一人一殺の方法に切り替えたが、他ならぬ勲の父の飯沼の密告によって、勲たちは検挙された。
 勲が清顕の生まれ変わりであることを知っていた本田は判事の職を辞して、弁護士になった。本田は勲の弁護人となり、法廷に立った。本田の力があってか、勲は無実になり、自由の身になった。
 勲は志を捨てることはなかった。蔵原が滞在している熱海の別荘に密かに忍び込み、蔵原を短刀で殺し、自らも自刃した。
 勲は神風連の行動に純粋さを見、自らも神風連と同じように行動したのである。

 三島由紀夫だからこそ、血盟団の志士たちの純粋さを描くことができたのだろうと私は痛切に思った。

 
三島由紀夫「豊饒の海 第三巻 暁の寺(あかつきのてら)」を読む

  三島由紀夫の長編四部作「豊饒の海」は輪廻転生をテーマにした小説である。輪廻はこの世に生まれ変わるという意味の仏教の言葉である。「生まれ変わったら〜したい」というように、生まれ変わることはある意味、人間の願望である。ところが、仏教においては、生まれ変わることは決していいことではないのである。なぜなら、この世には苦しみが多いからである。輪廻を繰り返すことはとりもなおさず、永遠にこの世で苦しみ続けるということである。
 仏教によると、この世とは六道の世界であり、六道とは地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道のことである。輪廻とはこの六道をぐるぐる回ることなのである。
 すべての人間が輪廻するとは限らない。解脱すれば輪廻から逃れ、仏の国に行くことができるのである。仏教に帰依した人が、一生懸命お経を唱えるのは解脱するためである。解脱して輪廻から逃れるのである。
 仏教が殺生を禁じているその一つの理由が、すべての生き物が人間の生まれ変わりだと信じられていたからである。昔の日本人は、悲しく鳴く犬を見て、この犬はおじいさんの生まれ変わりだと思ったかもしれない。輪廻は日本人の生活に完全に根付いた概念なのであった。
 ではなぜ、三島は輪廻をテーマにした長編を書いたのであろうか。「豊饒の海」の主人公たちは、死んでもすんなりとあの世には行けない。何が彼らをして、この世に舞い戻らせるのであろうか。なぜ彼らは解脱できないのか。「豊饒の海」の本当のテーマはここらあたりにあるのかもしれない。

 「豊饒の海」第三巻は「暁の寺」である。第二巻「奔馬」の主人公飯沼勲はタイのお姫様に生まれ変わる。お姫様は名前をジン・ジャンといった。ジン・ジャンの父親はその昔、王子時代に日本に留学し、松枝清顕とともに、学習院で学んだ。清顕の家へも遊びに行き、清顕そして本田繁邦とも仲がよかった。
 昭和15年すなわち日米開戦の1年前、本田はタイに行った。本田は飯沼勲の弁護を引き受けてから本格的に弁護士活動を始め、五井物産の顧問弁護士としてタイに行ったのである。その地で、本田は7歳のお姫様であるジン・ジャンに出会った。
 ジン・ジャンは頑なに自分は日本人の生まれ変わりだと主張して、回りの侍女たちを困らせていた。本田はジン・ジャンの住む宮殿で彼女に会った。ジン・ジャンが水遊びをしているとき、うまく彼女の脇の下を見ることができたが、ホクロはなかった。本田が日本に帰るとき、ジン・ジャンは自分を日本に連れて行けと泣き叫んだ。
 昭和27年、本田は58歳になっていた。戦後の法律改正によって、本田は長く抱えていた土地の所有に関する訴訟に勝ち、莫大な報奨金を得た。本田は一躍大金持ちになった。本田は悠々自適の生活を送り、御殿場に広大な土地を買って、豪華なプール付の別荘を建てた。
 ジン・ジャンは19歳になり、日本に留学した。本田はジン・ジャンに会った。ジン・ジャンは黒い髪と透き通った目と褐色の肌を持った美女になっていた。本田は松枝清顕・飯沼勲の生まれ変わりとして、ジン・ジャンを見ていたが、いつしか本田はジン・ジャンを肉欲の対象とみなすようになった。
理性の持ち主であった本田は年をとり、そして大金持ちになって本能をおさえることができなくなっていた。本田は東京で、ときおり公園にでかけ、そこで繰り広げられる若い男と女の濡れ場を盗み見るのを趣味としていた。
 本田は無性にジン・ジャンの裸が見たくなり、彼女をうまくだまし、御殿場の別荘で裸を見ることができた。そのとき、ジン・ジャンの脇に下には三つのホクロがあった。
 ジン・ジャンはタイに帰ったが、間もなくしてコブラに噛まれて死んだ。

 「暁の寺」は夢と現実がないまぜになったとてもエロチックな小説である。三島由紀夫らしい小説ともいえる。

 
三島由紀夫「豊饒の海 第四巻 天人五衰(てんにんごすい)」を読む

  衆生はそれぞれの業によって、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つの世界に住むという。輪廻によって、これらの世界を巡るのである。
 六道の最高の位にあるのは天上界であるが、この天上界に住む人を天人という。天人とはさぞかし優雅で幸福な生活を送ると思われがちだが、あにはからんや、天人も死を迎え、死の予兆として五つの衰えが表れるという。この五つの衰えとは、衣服が垢で油染みる・髪が萎える・身体が汚れて臭い出す・腋の下から汗が流れ出る・自分の席に戻るのを嫌がるということである。これを天人五衰という。
 天人が五衰の状態になると、その苦しみは地獄の苦しみよりもはるかにひどいという。天人も長寿になって衰えると滅茶苦茶に苦しむということである。
 三島由紀夫の長編四部作「豊饒の海」第四巻のタイトルは「天人五衰」である。今から思えば三島らしいタイトルのつけ方である。三島は老いることを極度に嫌っており、常々、健康で肉体美を維持したまま死にたいと述べていた。事実、45歳の若さで死んだ三島の肉体は筋肉質の引き締まったもので、検死した医者が二十代の体のようだと驚いたほどである。三島の自死の理由が、年老いて苦しみたくないからだというのも、あながち根拠のないことではない。
 「天人五衰」の最後の原稿を書き上げたのが昭和45年の11月25日で、その日、三島は決行に及んだ。三島は若い肉体のままあの世へ旅立ったのである。

 松枝清顕・飯沼勲・ジン・ジャン(月光姫)と転生した主人公たちは、「天人五衰」では一応、安永透に転生する。一応と書いたのは、透は偽物であったからだ。
 主人公たちを見守り続けた本田繁邦は、76歳になっていた。妻も死んで男やもめになって自由奔放に生きていた。
 本田は長年付き合っている女友達の老いてますます盛んな慶子と清水港を訪れ、そこで、一日中、港に出入りする船の動きを望遠鏡で看視する帝国信号通信社に勤める透と出会う。透の脇腹には三つのホクロがあった。時は昭和45年である。透は16歳で、年齢からいっても透はジン・ジャンの生まれ変わりだと本田は直感した。
 透は幼くして両親を亡くした孤児で、中学を卒業すると、帝国信号通信社に勤務した。本田は早速、透を養子に迎えた。透は賢く、東大生の家庭教師の指導のもと、昭和49年に東大に入学した。東大生になった透は父の本田と深く対立するようになった。
 本田と透は本質的に似た人間であったのだ。二人は憎み合い、透は本田に暴力まで振るうようになった。それでも本田は耐えた。透がジン・ジャンの生まれ変わりだと固く信じていた本田は、透が20歳になるまでに死ぬと思っていたからだ。
 透は慶子から、本田がなぜ透を養子にしたかの理由を聞くと、いたく自尊心を傷つけられ、服毒自殺した。透は一命をとりとめたが、全盲になった。透は20歳になっても死ぬことはなく、毎日を寝た切りの状態で過ごした。
 81歳になった本田は体の変調を感じ、病院に行ったところ、すい臓がんであることがわかった。すぐに手術すると医者に言われたが、一週間の時間を猶予してもらい、本田は清顕の恋人であった綾倉聡子が門跡をしている奈良の月修寺に向かった。本田は60年ぶりに聡子に出会った。聡子は83歳の美しい老婆になっていた。
 本田は清顕のことを話した。そのとき、聡子の発した言葉に本田は我を失った。聡子は松枝清顕のことを知らないと言ったのである。
 本田は自分の過去がすべて消えてしまったことを感じた。ここで、長い物語は終わりを迎える。

 三島が死んだのは昭和45年である。物語は昭和50年で終わっている。ここに、何か深い意味がありそうである。三島は時を超えたのであろうか。

 
作文道場三島由紀夫(みしまゆきお)
 1925年 - 1970年。東京生れ。本名、平岡公威(ひらおかきみたけ)。'47(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省にきんむするも9ヶ月で退職。執筆生活に入る。'49年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。主な著書に'54年『潮騒』(新潮社文学賞)、'56年『金閣寺』(読売文学賞)、'65年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等、'70年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五哀」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決・ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される。<新潮文庫「午後の曳航」より引用。>
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