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読書感想文
 
十返舎一九「東海道中膝栗毛 初編」を読む

 江戸時代、庶民にとって伊勢神宮に参詣することは一つの夢であった。伊勢神宮に行くことをお伊勢参りと呼ぶが、お伊勢参りするために一生懸命に働いたものである。
 十返舎一九の「東海道中膝栗毛」は文化・文政の時代に書かれたものであるが、超ベストセラーになった。人々は争って、この滑稽本を読んだのである。現在でも多くの人に読み継がれている。
 膝栗毛とは人間の足という意味で、「東海道中膝栗毛」とは東海道を歩いて旅行するということになる。弥次郎兵衛・北八の二人、通称弥次北のいわば珍道中を綴った物語である。
 「東海道中膝栗毛」は最初、初編が書かれたが、これが人気を博したのでさらに後編(二編)が書かれた。これまた人気があったので、さらに三篇・四篇と書き継がれ、一応八編までで終わる。一応と述べたのはその後、また書き継がれているからである。結局、金比羅などを巡って、中仙道へと旅を続けて終わる。完結するまでに約二十年かかっている。因みに八編までの道程を記すと次の通りである。

初編 (江戸から箱根)
二編上(箱根から蒲原)下(蒲原から岡部)
三篇上(岡部から日坂)下(日坂から新居)
四編上(新居から赤坂)下(赤坂から桑名)
五編上(桑名から追分)下(追分から山田)追加(伊勢めぐり)
六編上(伏見から京)下(京内めぐり一)
七編上(京内めぐり二)下(京内めぐり三)
八編上(大坂見物一)中(大坂見物二)下(生玉から住吉)

 一九は自らもよく旅をしたもので「東海道中膝栗毛」がその体験がベースになっているのは当然であるが、いろいろな先行する本も参考にしている。
 「東海道中膝栗毛」はとにかくおもしろい。会話文がほとんどで現代語に近い。ただ、方言が使われているところは難解である。
 「東海道中膝栗毛」の主人公は弥次郎兵衛と北八(または喜多八)である。弥次郎兵衛の屋号は「栃面屋」である。この屋号は「とちめんぼう」からきているらしく、これはあわて者という意味である。とにかく弥次郎兵衛はあわて者でのらくら者である。しかし、弥次郎兵衛は五十歳近く、教養高い男として描かれている。作中でもよく狂歌を歌う。
 北八は三十歳くらいで、弥次郎兵衛の居候であるが、もとは弥次郎兵衛の男色の相手であった。北八は陰間であったのだ。
 二人の共通点はおっちょこちょいであることと、無類の女好きであることだ。宿屋の飯盛り女のことで二人はよく揉め、問題を起こす。
 弥次郎兵衛は江戸の八丁堀の長屋に住んでいたが、妻と奇妙な死に別れをして、自分に嫌気がさして、家をたたんで北八と旅に出ることにした。行き先は伊勢神宮である。
 「東海道中膝栗毛 初編」は八丁堀から品川を経て、箱根までの道中を扱っている。東海道五十三次は品川の宿から始まっており、箱根までは品川宿・川崎宿・神奈川宿・程ヶ谷宿・戸塚宿・藤沢宿・平塚宿・大磯宿・小田原宿・箱根宿と続く。
 弥次北の二人は東海道を江戸から西へ上り、玉(多摩)川の六郷の渡しを越えて、さらに歩き続け金川(神奈川)の台に来た。ここは海岸に接しており、道の片側には有名な茶屋が軒を並べている。茶屋は二階造りで、欄干つきの廊下が建物と建物の間を繋ぎ、ここからの波打ち際のながめは最高であった。
 さらに旅を続け、戸塚宿で泊まった。翌日も西へと向かい、小田原宿で一泊して、難所の箱根の山も関所も無事に越えた。

 「東海道中膝栗毛」は日本人の根源的な欲求を満たしてくれる、最高の道中記である。

 
作文道場十返舎一九(じっぺんしゃ いっく) 本名:重田貞一(さだかつ)。
 明和2(1765)年 - 天保2(1831)年.。武士の子として駿府(現在の静岡市)府中にうまれる。幼名市九。通称に与七、幾五郎で酔翁、十返舎などと号した。江戸時代後期の大衆作家で日本で最初に、文筆のみで自活した。
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