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読書感想文
 
井原西鶴「好色五人女 卷四 恋草からげし八百屋物語」を読む

 江戸の町は火事が多かった。<火事と喧嘩は江戸の花>といわれるくらいに、江戸と火事は切っても切れない関係にあった。
 江戸時代で最も大きかった火事が1657年に起きた明暦の大火である。別名振袖火事ともいう。この火事によって、外堀以内のほぼ全域が燃え、江戸城の天守閣も焼失した。死者は10万人を超えたといわれている。巣鴨にある本妙寺には現在でも振袖火事で死んだ人の供養塔が残っている。
 1682年には八百屋お七火事が起きている。確かなことはわからないが、八百屋の娘のお七が放火して起こったものだといわれている。この事件をもとにして書かれたのが、「好色五人女 恋草からげし八百屋物語」である。この物語と深く結びついているのが、駒込の吉祥寺である。
  現在、中央線の吉祥寺には吉祥寺はない。振袖火事のとき、吉祥寺は現在の吉祥寺の地に移転した。そのため、その地を吉祥寺と呼ぶようになったのである。その後、吉祥寺は駒込の地に戻った。お七と恋人の吉三郎は吉祥寺で出会い、そして恋仲になった。吉祥寺には、お七と吉三郎の比翼塚が建っている。
  八百屋お七といえば、好色な女の代名詞のようにいわれているが、好色でも何でもない。一途に恋人のことを思った純粋すぎる娘であった。「恋草からげし八百屋物語」は哀しくせつない物語である。西鶴は簡潔にお七と吉三郎の出会いから悲惨な最期までを描いている。その筆には二人に対する深い同情の気持ちが滲んでいる。私もお七が可哀想で、吉祥寺に行ったとき、思わず比翼塚の前で手を合わせたものである。

 お七は本郷にある八百屋の娘である。年は16歳で美人であった。
 あるとき、近所で火事があり、お七の家族は吉祥寺に避難した。そこで何日間か避難生活をした。
 吉祥寺には吉三郎という寺小姓がいた。吉三郎は武家の生まれであった。吉三郎は男前で、お七は吉三郎に恋するようになり、二人は結ばれた。
 いつまでもお七は吉祥寺にいるわけにはいかなかった。お七は八百屋の家に戻り、吉三郎とは会えなくなった。
 吉三郎もお七もお互いに相手のことを片時も忘れずに日を過ごした。吉三郎は田舎の野菜売りの百姓に化けて、お七の家に行き、そこで短い間だけ二人は一緒に過ごした。それからはまた会うことができなかった。
 思い詰めたお七は火事になれば再び吉祥寺で吉三郎に会えると思い、お七は放火をしたのである。少しばかり煙が立ちのぼったため、人々が騒ぎたて、その場にお七の姿を発見した。そこで、尋ねたところ、お七は包みかくさず白状したので、お七は放火の罪で捕まった。
 江戸時代の法律では、放火は重罪であった。市中引き回しの上、獄門であった。お七は神田・四谷・芝・浅草・日本橋を引き回された。それを見ていた群集はお七の命を惜しんだ。お七は鈴の森でめずらしく、火あぶりの刑に処された。お七は取り乱すこともなく、あの世に旅立ったのである。
 吉三郎はお七の死を知って、死のうとしたが、回りがそれを許さなかった。吉三郎は出家して、生涯お七の霊を弔った。

 西鶴はよほどお七のことが哀れだと思ったらしく、物語の最後を、<無常である。夢である。現(うつつ)である。>と結んでいる。放火したからといって、火あぶりの刑にするとは何とむごたらしい。
 火事はぱっと明るくなるが、やがては消えていく。お七の人生は火事のように、熱く燃えて、そして消えてなくなっていったのである。
 「恋草からげし八百屋物語」は日本人の心を打つ、最高の悲恋物語である。

 
井原西鶴「好色五人女 卷五 恋の山源五兵衛物語」を読む

 江戸時代、男色は一般に広がっていた。特に、出家した僧は女と交わること、すなわち女犯は厳しく禁じられていた。もし、女犯をしたら重罪であった。島流しになっても文句はいえなかった。
 役者というのは男色の対象であった。若い役者は色を売った。ただ、男だけに売ったのではなく、金持ちの有閑マダムにも売ったのだが。陰間茶屋というのは、若い役者が色を売る茶屋であった。
 男と男が契ると深い関係になった。浮気などとんでもないことであった。女と関係を持つことも遠慮したものである。だが、実際は、男とも女とも交わる両刀遣いが多かったようである。
 男色のことを衆道ともいう。西鶴は衆道についてもたくさん書いている。本当に、西鶴の興味の対象は広く、そして深い。
 今回取り上げる「好色五人女 巻五 恋の山源五兵衛物語」は男と女の恋というよりも、衆道に重点を置いた物語である。この物語は巻一から巻四までと違って、ハッピーエンドで終わっている。また、巻一から巻四までは実際に起きた有名な事件を題材にしているが、この物語は実際の事件との関係は薄い。なぜなら、この物語の中心人物である、おまん源五兵衛の名は当時有名であったが、その事件は遠い昔に起こり、まして薩摩の国で起こったので、内容はほとんどわからなかったからである。西鶴は自由に想像をめぐらして書いた。
 それにしても、契りあった男と男の恋というものは深いものだと感心させられる。

 源五兵衛は薩摩の国ではめずらしく色好みの男であった。その色とは男色のことで、二十六歳の今日になるまで、女を相手にしたことは一度もなかった。
 源五兵衛は長い間、若衆の中村八十郎を愛してきた。八十郎は世にまたとないと思わせるほどの美少年であった。
 ある雨が寂しく降る夜、源五兵衛と八十郎が二人きりで源五兵衛の住み慣れた小座敷に閉じこもって、横笛を合奏していた。その後、二人は共寝をしたが、明け方に悲劇が起こった。八十郎が突然死んだのである。
 源五兵衛は深い悲しみに襲われ、出家した。そして、源五兵衛は一度高野山にお参りしようと決意し、故郷を後にした。
 高野山へ行く途中、源五兵衛は、年の頃は八十郎と同じくらいで、八十郎よりも美しい少年と出会い、この少年と一夜契った。
 源五兵衛は高野山に向かい、高野山に着いてもすぐに帰り道を急いだ。少年に会うためであった。だが、源五兵衛を待ち受けていたのはまたもや悲劇であった。少年は死んでいた。
 源五兵衛はすっかりしょげかえり、薩摩の国に帰り、庵を結んだ。夢の中で死んだ二人の美少年と交わろうとした。
 薩摩の国浜の町に、琉球屋の某の娘おまんという者がいた。おまんは年は十六で、気立ても優しくたいへん美しかった。おまんは源五兵衛に惚れ、源五兵衛に手紙を何度も出したが、源五兵衛は女を相手にしなかった。
 おまんは考えたあげく、男装して、源五兵衛の庵を訪ねた。源五兵衛は美しい少年であるおまんを見て、一目惚れした。二人は床を共にしたが、おまんが女であることがばれてしまった。源五兵衛はおまんが女であっても気にしなかった。
 源五兵衛とおまんは二人で暮らすようになったが、ひどく貧乏であった。おまんの実家の琉球屋が、娘が好きになった人だということで、娘と源五兵衛の結婚を許し、源五兵衛を琉球屋の跡取りとした。琉球屋の蔵には金が腐るほど詰まっていた。源五兵衛は大名以上に金持ちになったのである。

 源五兵衛とおさんの濡れ場の描写が滑稽でリアリティがある。さすが西鶴である。

 
作文道場井原西鶴(いはらさいかく) 本名:平山藤五(ひらやまとうご)。
1642年(寛永19年) - 1693年(元禄6年).。大坂生まれ。1682年(天和2年)に発表した。『好色一代男』によって、浮世草子作家としての地位も獲得した。江戸時代の浮世草子・人形浄瑠璃作者、俳人。別号は鶴永、二万翁。
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