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読書感想文
 
井原西鶴「好色五人女 卷一 姿姫路清十郎物語」を読む

 江戸時代は資本主義が発達したとはいいながら、その本質は封建社会であった。封建社会を最もよく象徴するのが、身分制度である。
 実際のところはどうであれ、表向きは士農工商と厳格に階級が分かれていた。自分の階級を変えることは一部の例外を除いてほとんど不可能であった。結婚は同じ階級で同じ身分でするのが当然とされた。
 階級の違う同士の結婚は大いに問題があった。まして、階級の違うもの同士の不倫は死を意味していた。町人が武士の奥方と不義密通すれば首が飛んだのである。同じ町人でも、大商人の娘と手代とが密通しても処罰の対象となった。
 とはいえ、恋愛というものは自然の情である。階級に関係なく、男は女を、女は男を恋するものである。この男女の恋愛だけはどんな制度にしてもやめさせることはできない。
 江戸時代、死を覚悟しての恋愛がさかんに行われた。結婚できない男と女が最後に心中するということがよく起こった。心中はご法度であったが、心中するものたちは後を絶たなかったのである。近松門左衛門は実際に起こった心中を浄瑠璃にした。この浄瑠璃は爆発的にヒットした。近松だけでなく、井原西鶴も、実際にあった男と女の事件を題材に物語を書いた。「好色五人女」はこうして生まれた。
 西鶴はたいへんサービス精神の旺盛な人で、庶民の望む情報をできるだけ正確におもしろく提供しようと勉めた。今でいうジャーナリズム精神をもっていた人なのである。だが、西鶴は単に興味本位に事件を脚色するのではなく、その事件を起こさざるを得なかった人間の悲しい性(さが)まで掘り下げて書いている。だからといって、お涙頂戴の話にはしない。好色ものといわれようが、やはり西鶴の作品は文学なのである。
 今回取り上げるのは「好色五人女 巻一 姿姫路清十郎物語」である。お夏・清十郎の恋として有名になった事件を題材にしたものである。

 室津(現在の兵庫県にあった)は大湊(みなと)であった。この室津にある金持ちの商人に清十郎という在原業平ばりの美男子の息子がいた。清十郎は生粋の遊び人で、この湊にいる八十七人の遊女すべてと関係をもった。
 清十郎のあまりの放蕩三昧に、さすがに、父親も怒り心頭に達し、清十郎を勘当した。清十郎は出家するため、菩提寺に預けられた。
 清十郎は死を考えたが、果たすことができず、菩提寺を抜け出して播磨国の姫路に行った。姫路では但馬屋という家が店をまかせる手代を募集していたので、清十郎は但馬屋の手代になった。
 もともと能力のあった清十郎は仕事がよくできて、主人から信頼された。だが生まれつきの色男のため、但馬屋の女中たちから慕われ、いろいろと言い寄られた。但馬屋の主人にはお夏という娘がいたが、お夏も清十郎に魅了され、清十郎を思うようになった。 
 清十郎とお夏は深く愛し合うようになり、密通を重ね、店にいられなくなって駆け落ちをした。向かった先は、上方であったが、途中で、店の追手に捕まってしまった。清十郎は座敷牢に入れられ、お夏は悲しみに暮れた。二人が捕えられるのを見た人たちは二人に同情した。
 運の悪いことに、但馬屋の内蔵にあった七百両の小判がなくなっていた。これは清十郎がお夏に盗み出させて、清十郎が持って逃げ去ったと思われた。清十郎は、公儀に召し出され、申し開きができなかったので、処刑された。清十郎が処刑された後、件の七百両は見つかった。

 清十郎は死ぬまでお夏のことを思い続けていた。清十郎は罪人であったが、西鶴は当然のことながら、清十郎を罪人とは見ていなかった。
 清十郎の色男振りが際立った物語である。

 
井原西鶴「好色五人女 卷二 情を入れし樽屋物語」を読む

 江戸時代の人にとっては、旅行は何度も行けるものではなかった。江戸っ子は、大山参りや江ノ島に行くことはたのしみで、それ以上に伊勢参り・金比羅参りは生涯に一度あるかないかのたのしみごとであった。江戸っ子の夢は伊勢参り・金比羅参りだといってもよかった。
 伊勢参りは別名抜け参りといった。この抜け参りだけは、誰の許可を得ないでも行く事ができた。商人の家に奉公する丁稚・女中などが、突然仕事をほっぽりだして抜け参りにいってもお咎めはなかったのである。伊勢神宮が、日本を代表する神様である天照大神を祀っているからであろうか。伊勢神宮はことのほか霊験あらたかな神社であった。
 よく、男と女が抜け参りにかこつけて伊勢参りを恋の道中としたらしい。今回取り上げる「好色五人女 巻二 情を入れし樽屋物語」は抜け参りを利用して、男と女が逢瀬をするという話である。この話も実際にあった事件を西鶴が脚色したものであるが、抜け参りがうまく設定されている。西鶴ならではの心憎い演出である。
 この物語の主人公はおせんである。おせんは親孝行な貞淑な娘であったが、最後は道ならぬ色の道に迷い込んで、自ら死を選んだ。身持ちのよい真面目な娘が結婚して、心変わりする過程が興味深い。やはり、女は恐いものだと思わざるを得ない。女の心には鬼か蛇が棲んでいるのであろうか。西鶴は女の微妙な心理を描くのもまた得意であった。返す返す西鶴はすごい作家である。

 おせんは器量よしであったが、十四歳のとき、両親が年貢を払えなかったので、町屋に奉公に出された。おせんは利口でもあったので、町屋のご隠居・奥様から気に入られた。おまけに、おせんは貞操が固く、浮いた話は一つもなかったので、近所の評判はたいへんよかった。
 おせんが奉公していた町屋の近くに樽屋をしている男がいた。樽屋はおせんの評判を聞きつけ、いつしかおせんに恋して、ぜひとも自分の女房にしたがった。樽屋は思い余って、町屋の井戸替えをしたときに知り合った老婆におせんのことを打ち明けた。老婆は樽屋に、おせんに会わせてやると約束した。
 老婆が考え出したのが、抜け参りを利用して樽屋とおせんを結びつけることであった。とんだじゃまがはいったが、伊勢神宮からの帰り道の京都で樽屋とおせんは二人きりになり、夫婦約束をした。
 樽屋とおせんは夫婦になったものの、しばらくするとおせんは心変わりがした。おせんは芝居を見に出かけるたびに、芝居の世界と自分の生活を比較して、樽屋のことが嫌いになり、離縁したいと思うようになった。
 あるとき、おせんは麹屋長左衛門の家の法事の手伝いに呼ばれた。そこで、おせんは麹屋の女房から濡れ衣を着せられたのである。女房は亭主の長左衛門とおせんがいい関係になっていると勘ぐった。そのため、おせんは女房からきつい嫌味をいわれた。
 さすがにおせんも頭にきて、本当に長左衛門と不倫関係になってやろうと思った。おせんは長左衛門にいいよった。
 長左衛門はおせんをものにできることを喜び、おせんは長左衛門を自分の家に引き入れた。家には樽屋がいたが、樽屋は昼間の仕事で疲れきっていたので熟睡していた。おせんと長左衛門は事に及んだが、樽屋は目をさましてしまった。長左衛門は裸のまま外へ逃げたが、おせんは鉋(かんな)で胸元を刺して自殺した。
 長左衛門も間男をしたかどで処刑され、おせんと長左衛門の二つの死体は刑場でさらされた。

 典型的な不義密通の話である。不義密通した男と女は処刑されても、見せしめのために、死体はさらされたのである。江戸時代とは恐ろしい一面をもった時代であった。

 
井原西鶴「好色五人女 卷三 中段に見る暦屋物語」を読む

 江戸時代、都の京都は華やかであった。通りには大商店が軒を並べ、町は活気に溢れていた。京都の商店は続々と江戸に進出した。江戸の日本橋にある店の多くが、京都に本店がある出見世(支店)であった。
 京都は遊ぶに事欠かなかった。二大悪所があった。悪所とは遊郭と芝居のことである。江戸では、遊郭は吉原、芝居は堺町・木挽町などにあった。京都では、遊郭は島原、芝居は四条河原にあった。役者というのは、芸を売るだけでなく、色も売った。
 京都には、大商店が多かったため、金に不自由しないぼんぼんたちがたくさんいた。彼らは毎日遊び呆けた。島原に行けば、名うての太夫と遊び、四条河原では評判の役者と遊んだ。男色・女色に昼夜の別なく、様々の遊びをした。
 町人は駕籠に乗ることはできなかったが、町人でも女は駕籠に乗ることができた。大商店の主人の妻や娘たちの中には女中乗物という高級な駕籠に乗って、町を行き来した。それでも多くの女や娘たちは駕籠に乗らずに、きらびやかに着飾って通りを歩いた。通りはさながら、着物のファッションショウの舞台のようであった。美しい女に目のない金持ちのぼんぼんたちは、通りを歩く女たちの品定めをしてたのしんだ。
 今回取り上げる「好色五人女 巻三 中段に見る暦屋物語」の主人公おさんは京都の通りを着飾って歩くと、たくさんの男の目を釘付けにするほどの美人であった。
 おさんは最後、むごい死に方をするのであるが、西鶴はおさんに深い同情を寄せている。男と女が間違いを犯しただけで処刑されるとは、返す返す江戸時代とは残酷な一面をもっていたものだと思う。おさんが魅力的な女であるだけに、物語は哀れで悲しい。

 今小町といわれたおさんは大経師の某(なにがし)のもとへ嫁入りした。大経師とは経巻・仏画などを表装する経師の長のことをいう。大経師の家は暦屋ともいわれた。
 おさんは大経師の店をうまく切り盛りしたので、店は繁盛し、家は栄えた。
 江戸に用事ができて、夫は江戸に出張しなければならなくなった。夫が留守になるので不自由になるのではないかと、おさんの実家の親が心配した。そこで、親は自分の家で召し使っている茂右衛門という手代を大経師屋の家に遣わした。
 茂右衛門は実直な男であった。ところが、いたずら心旺盛なおさんはひょんなことから間違って茂右衛門と関係をもってしまった。さあたいへんである。主人の妻と手代が不義密通をしたのである。知られたら、二人の首が飛んでしまうほどの重罪である。
 思い余った二人は大経師の家から逃げ出し、近江へと行った。そこで、二人は心中を偽装した。湖に二人が飛び込むのであるが、飛び込んだのはおさんたちが雇った水泳のうまい漁師たちであった。世間の人たちはおさんと茂右衛門は死んだと思った。
 二人は丹波へと逃げて、茂右衛門の親戚を頼った。その家には母親と息子一人が住んでいた。茂右衛門はおさんのことを妹と紹介した。母親は願ってもないと、おさんを独身の息子の嫁にしようとした。息子は毒蛇を平気で食べる化け物のような男であった。二人はその家からも逃げ出し、丹後に向かった。
 やはり逃げとおせるものではなかった。大経師の店には毎年、丹波から栗商人が来た。この商人が不思議にも、死んだはずの大経師の妻のおさんによく似た女が丹後にいると大経師に伝えた。面子を丸つぶれにされた大経師は追手を差し向けた。
 おさんと茂右衛門は捕らえられた。そして、二人は引き回しの上、粟田口の刑場の露と消えたのである。最期は見苦しいところはなかったと世に語り伝えられた。今でも浅黄の小袖を着たおさんの面影がありありと見るように、その名は残っている。

 何ともいえず、悲しくそしていさぎよい物語である。おさんの美しさが際立っている。京都にたくさんといる美人の中でも、とりわけおさんは美しかったのである。西鶴の嘆きが聞こえてきそうである。

 
作文道場井原西鶴(いはらさいかく) 本名:平山藤五(ひらやまとうご)。
1642年(寛永19年) - 1693年(元禄6年).。大坂生まれ。1682年(天和2年)に発表した。『好色一代男』によって、浮世草子作家としての地位も獲得した。江戸時代の浮世草子・人形浄瑠璃作者、俳人。別号は鶴永、二万翁。
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