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読書感想文
 
井原西鶴「西鶴諸国はなし 卷一 『大晦日はあわぬ算用』」を読む

 私は井原西鶴が大好きで何度も読む。私が西鶴を読むようになったは太宰治の「新釈諸国噺」を読んだからである。私は太宰の作品の中でも特にこの作品が好きで、これは西鶴の作品をベースにして太宰独自の世界を構築した短編集である。私はこの短編集に収められている中では「貧の意地」が最も好きである。西鶴というより太宰らしい作品である。
 今回、再び読み直したのが井原西鶴「西鶴諸国はなし 卷一『大晦日はあわぬ算用』」である。この作品は「貧の意地」のベースになった作品である。この作品は西鶴の作品の中でも取り分けて優れている。太宰もいっているように、私は西鶴は世界一の名短編作家であると思う。
 とにかく西鶴は人間の本性を短い文章でずばっといいあてる名人である。「大晦日はあわぬ算用」では武士の潔癖さ、気品そしてプライドを2000文字に満たない文章で見事に描いている。誰も真似のできない西鶴の世界である。

 原田内助はうらぶれた浪人である。大晦日になっても支払いをするお金がない。借金取りにきた米屋の若者を刀に手をかけてすごんで帰させるのが関の山である。
 原田の貧しさが極まったのを見かねた女房は自分の医者である兄に助けを求めた。兄は半井清庵(なからいせいあん)というおもしろい人間で、<貧病の妙薬、金用丸、よろずにきく>と処方箋を書いて金10両を包んでくれた。
 思いがけず10両を手にした原田は気持が大きくなり、自分一人が幸福になってもしょうがないと、日頃、親しく付き合っている浪人仲間に酒を振舞うことに決めた。原田の家に招待されたのは7人の浪人で、いずれも見るからに貧乏で、夏の浴衣を重ね着しているものもいる。ところが、落ちぶれてもさすがは武士、服装など気にもとめない。
 原田は10両の小判を処方箋と一緒に7人の浪人に見せた。7人はめいめい小判を手に取って眺めた。宴は盛り上がり、ある浪人が千秋楽を歌い、会はお開きになった。夜は更けていた。原田は小判を集めた。ところが小判は9両しかなかった。人のよい原田は1両は支払いにあてたと言ったが、7人は納得しなかった。一同は確かに10両あったと言うと、ある浪人が帯を解いて身の潔白を訴えた。それに続いて皆が帯を解き始めたが、3人目の浪人は渋面をつくり、たまたま1両もっていることを告白した。その1両は昨日、小柄(こづか)を売って得たものであった。それでも疑われてはしょうがないと、切腹をしようとした。そのとき、<小判はここにある>と丸行燈(あんどん)の下から小判1両を投げ出したものがいた。と同時に、奥から原田の女房が煮しめの重箱の蓋(ふた)に小判が付いていたと言った。
 不思議なことに小判は11両になった。これは、仲間の難儀を見かねて、誰かが1両を差し出したからであると原田は問いかけたが、誰も名乗りでなかった。原田は一升枡の中に小判を入れ、それを庭の手水鉢(ちょうずばち)の上に置いて、小判の持ち主はこの小判を取って帰ってと言った。
 7人の浪人たちは1人づつ庭に出て帰っていった。最後に、原田が一升枡の中を調べたが、小判はなかった。
 この作品の最後、<武士の付き合いは格別である>と作者は締めくくっている。

 ほれぼれとする短編である。西鶴の人間を見る目、そして適確に描写する筆の見事さに私は崇敬の念を抱いた。
 この作品はあの短編の名手志賀直哉も絶賛したそうである。なるほどと思う。 

 
井原西鶴「西鶴諸国はなし 卷二 『水筋(みずすぢ)の抜け道』」を読む

 「西鶴諸国はなし」は日本各地の現実離れした興味深い話を集めたものである。5巻35話から成り立っている。
 江戸時代、移動するのはたいへん困難であった。生まれた村から一歩も出ず、一生その村で暮らすというのが一般的であった。村から出ても一生に一度あるかないかであり、自分の村以外の土地で何が起こっているのかわからなかった。そのため、いろいろな奇妙な話がまことしやかに伝わった。
 熊野の奥山には湯の中で泳ぐ魚がいるとか、筑前の国には2人でないと持ち上げられないくらい大きな蕪(かぶら)があるとか、若狭の国では200余歳の身体の白い尼が住んでいるとか、丹波の国には、1丈2尺(約3m60cm)もある大きな干した鮭を祀(まつ)った社があるとか、阿波の鳴門には竜女が持っていた掛硯(かけすずり)があるとか、加賀の白山には閻魔王の巾着(きんちゃく)があるとか、信濃の寝覚の床には浦島太郎の持っていた火打箱があるとかである。
 本当にあったかどうかはわからないが、当時の人々は信じていたのではないか。敏感な西鶴はさっそくそれらの話を纏めて独自の世界を作ったのである。「西鶴諸国はなし」は江戸時代の人間だけでなく、日本人の人間ならびに自然に対して感じている素朴なイメージが醸し出されていてたいへんおもしろい。

 今回取り上げるのは「巻二 水筋の抜け道」である。これも不可思議な話であるが本当のことにも思える話でもある。
 若狭にたいへん金持ちの商人がいた。その商人の名は越後屋の伝助といった。越後屋にはひさという奉公人がいた。ひさは美しくやさしかった。京屋の庄吉といって、京都から小浜を往復している商人がいた。庄吉は独身であったが、ひさといい関係になり、将来を約束した。
 伝助の女房はひさと庄吉の関係を知って嫉妬し、ひさをせっかんした。女房は赤く熱した火箸をひさの左の顔に押し付けた。皮はただれて見ても無残な顔になった。ひさは顔が醜くなったことを悲しんで、小浜の海に身を投げた。しかし、ひさの死骸は見つからず、行方知らずになった。
 正保元年2月9日、大和の国の秋志野の里では、田畑の用水のために池を掘っていた。土を掘ってもなかなか水は出てこなかった。2晩掘り続けていくうちに、水脈と接していると思われるところを堀り当て、大きな穴をあけた。そこから水が噴出し、阿波の鳴門のごとく渦を巻いた。池には水が漲った。
 翌日、水が静かになったところで、里人たちが池を見ると、18,9歳の女の身投げ死体が岸に打ち上げられた。その女は里のものではなかった。ある旅人が、不思議なことに、その女は先日小浜で身を投げた越後屋の下女であると言った。人々は、若狭の海から奈良の都へ水脈が通っているという伝説があることを語った。
 女の死体の持ち物を調べてみると、はたして間違いなく越後屋のひさであった。ひさの死体は秋志野の里に埋められ、遺品は小浜に戻った。ひさの婚約者の庄吉はすべてを捨てて出家した。そして、秋志野に行き、ひさの塚に参って、昔のことなどを語ったが、そのうちに寝てしまった。
 夢の中で、火の燃えている車に2人の女が乗っていた。ひさと伝助の女房であった。ひさは焼き火箸を女房に当てていた。<今こそ思いを果たしたぞ>と、ひさは叫び、その姿は消えてしまった。3月31日、日も時も違わず、伝助の女房は一声あっと叫んで息が絶えた。

 嫉妬の報いは恐ろしいという話である。

 
井原西鶴「西鶴諸国はなし 卷三 『紫女(むらさきおんな)』」を読む

 「西鶴諸国はなし」は日本各地の現実離れした興味深い話を集めたものである。5巻35話から成り立っている。
 江戸時代、移動するのはたいへん困難であった。生まれた村から一歩も出ず、一生その村で暮らすというのが一般的であった。村から出ても一生に一度あるかないかであり、自分の村以外の土地で何が起こっているのかわからなかった。そのため、いろいろな奇妙な話がまことしやかに伝わった。
 熊野の奥山には湯の中で泳ぐ魚がいるとか、筑前の国には2人でないと持ち上げられないくらい大きな蕪(かぶら)があるとか、若狭の国では200余歳の身体の白い尼が住んでいるとか、丹波の国には、1丈2尺(約3m60cm)もある大きな干した鮭を祀(まつ)った社があるとか、阿波の鳴門には竜女が持っていた掛硯(かけすずり)があるとか、加賀の白山には閻魔王の巾着(きんちゃく)があるとか、信濃の寝覚の床には浦島太郎の持っていた火打箱があるとかである。
 本当にあったかどうかはわからないが、当時の人々は信じていたのではないか。敏感な西鶴はさっそくそれらの話を纏めて独自の世界を作ったのである。「西鶴諸国はなし」は江戸時代の人間だけでなく、日本人の人間ならびに自然に対して感じている素朴なイメージが醸し出されていてたいへんおもしろい。

 今回取り上げるのは「巻二 水筋の抜け道」である。これも不可思議な話であるが本当のことにも思える話でもある。
 若狭にたいへん金持ちの商人がいた。その商人の名は越後屋の伝助といった。越後屋にはひさという奉公人がいた。ひさは美しくやさしかった。京屋の庄吉といって、京都から小浜を往復している商人がいた。庄吉は独身であったが、ひさといい関係になり、将来を約束した。
 伝助の女房はひさと庄吉の関係を知って嫉妬し、ひさをせっかんした。女房は赤く熱した火箸をひさの左の顔に押し付けた。皮はただれて見ても無残な顔になった。ひさは顔が醜くなったことを悲しんで、小浜の海に身を投げた。しかし、ひさの死骸は見つからず、行方知らずになった。
 正保元年2月9日、大和の国の秋志野の里では、田畑の用水のために池を掘っていた。土を掘ってもなかなか水は出てこなかった。2晩掘り続けていくうちに、水脈と接していると思われるところを堀り当て、大きな穴をあけた。そこから水が噴出し、阿波の鳴門のごとく渦を巻いた。池には水が漲った。
 翌日、水が静かになったところで、里人たちが池を見ると、18,9歳の女の身投げ死体が岸に打ち上げられた。その女は里のものではなかった。ある旅人が、不思議なことに、その女は先日小浜で身を投げた越後屋の下女であると言った。人々は、若狭の海から奈良の都へ水脈が通っているという伝説があることを語った。
 女の死体の持ち物を調べてみると、はたして間違いなく越後屋のひさであった。ひさの死体は秋志野の里に埋められ、遺品は小浜に戻った。ひさの婚約者の庄吉はすべてを捨てて出家した。そして、秋志野に行き、ひさの塚に参って、昔のことなどを語ったが、そのうちに寝てしまった。
 夢の中で、火の燃えている車に2人の女が乗っていた。ひさと伝助の女房であった。ひさは焼き火箸を女房に当てていた。<今こそ思いを果たしたぞ>と、ひさは叫び、その姿は消えてしまった。3月31日、日も時も違わず、伝助の女房は一声あっと叫んで息が絶えた。

 嫉妬の報いは恐ろしいという話である。

作文道場井原西鶴(いはらさいかく) 本名:平山藤五(ひらやまとうご)。
1642年(寛永19年) - 1693年(元禄6年).。大坂生まれ。1682年(天和2年)に発表した。『好色一代男』によって、浮世草子作家としての地位も獲得した。江戸時代の浮世草子・人形浄瑠璃作者、俳人。別号は鶴永、二万翁。
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